かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:モーツァルト宗教音楽全集13

今回のマイ・コレは、モーツァルトの宗教音楽全集の第13集です。収録曲は、レクイエムです。

この曲はあまりにも有名ですが、モーツァルトが完成させなかったことから、さまざまな版が存在することで有名です。

さて、アーノンクールはどの「版」を選択したのかと言えば、バイヤー版です。

バイヤー版は基本的に一般に聴かれているジュスマイヤー版とそれほど差があるわけではありません。たとえば、近年見つかったアーメンコーラスを入れるというようなこともやってはいません。

モーツァルト「レクイエム」(バイヤー版、ランドン版、レヴィン版、モーンダー版)
http://blogs.yahoo.co.jp/takatakao123/38774873.html
モーツァルトが完全に完成させたのがレクイエムとキリエだけというのが、彼の創作方法を示しています。既に彼は頭の中で出来上がっているので、頭から順番に書き写すというのがやり方だったのです。だからキリエだけが残されている原因でもあります。いっぽう、このサイトは彼が低音部から仕上げていったということも言及しているので、とても参考になるサイトかと思います。)

では、何が違うのかと言えば、バイヤー版はオケの部分がすっきりとしているのです。確かに、レクイエムはオーケストレーションは素晴らしいのですが、例えばザルツブルク時代のミサ曲のような動きつつすっきりとしたものではなく、もっと壮麗で重厚です。

それがバイヤー版ではまるで室内楽を聴いているかのようなすっきりさ、さっぱりさです。ここに、本来アーノンクールという指揮者の特色が出ています。オケがピリオドなので古楽の指揮者というイメージがありますが、彼はモーツァルテウムで講義も行う学者なのです。

ニコラウスアーノンクール
http://en.wikipedia.org/wiki/Nikolaus_Harnoncourt

ウィキの日本語サイトではなく英語サイトをご紹介したのにはわけがあります。グーグルの同時翻訳の文章では、こうあるからです。

アーノンクールは、主にパフォーマンスの歴史と音楽美学の問題で、また数冊の本の著者です。」

ちょっと日本語としては機械的な訳なのでおかしい文章になっていますが、私が訳しなおせば、「一方でアーノンクールは、音楽史や音楽美学に関する著作を数冊表わしています」ということになるでしょうか。この「音楽史や音楽美学」のオーソリティとしての側面の方が強いのです。

彼はそれを実現するために手始めに古楽団体であるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを立ち上げましたし、その後ヨーロッパ室内管弦楽団のように古典派を十分に研究しているモダンの室内オケとの共演を選んできたのです。

このレクイエムの演奏は、彼のそういった人生と研究の成果の一つとしてとらえるべき演奏です。その最たる点が、バイヤー版の採用であるわけなのです。

バイヤー版の採用は聴き手によってその評価が大きく左右されるところでしょう。私は初めそれほど好きではありませんでした。レクイエムやモーツァルトの死についての知識がなまじあったために、やはりジュスマイヤー版の重厚な演奏を好んだのです。それは今でもですが・・・・・

しかし、今ではこのバイヤー版もジュスマイヤー版とはまた違った魅力を持つものとして、私の美意識の中にしっかりと根を下ろしつつあります。ただ、バイヤー版に関しては今では違った点から不満を持っています。それは、モーツァルトだったらもう少しオケを動かすのになあという不満です。これを解消してくれているのは、残念ながら一般的なジュスマイヤー版なのです(特に「怒りの日」)。

だからこそ、私はジュスマイヤー版がいま多くの指揮者に採用されているのだと思っています。ただ、恐らくアーノンクールはそれを踏まえつつ、モーツァルトの曲が持つシンプルで明快な構成美を注目して欲しかったので、バイヤー版をあえて選んだのかもしれません。これはアーノンクールの他の演奏を聴いてみないことには何とも言えませんので推測にすぎませんが。

演奏面では、合唱団がいまいちなのですね〜。その点もジュスマイヤー版、特にすでに持っているカラヤンウィーン・フィルのものと比べますと劣る点でもあります。とはいえ、合唱団はウィーン国立歌劇場ですからアンサンブルは決して悪いわけではありません。録音結果として、各パートが混然一体になりすぎているという点でマイナスなのです。場所はこれまでと同じ公会堂での収録なのですが、やはり全体としてぼやけています。

つまり、アーノルト・シェーンベルク合唱団のような各パートが浮き上がりかつハーモニーとして溶け合っているという形ではないのです。各パートはそれほど浮き上がってはいないため、ハーモニーが濁っている印象を受けるのです。せっかくバイヤー版を選んでいるのに、もったいないなと思います。これが合唱団がアーノルト・シェーンベルク合唱団だったら、もしかするとカラヤンウィーン・フィルを断然超えていたのにと残念でなりません。

まあ、それは致し方ない部分もあるでしょう。そもそもこの全集を制作するというプロジェクトは、このレクイエムの収録から始まっているのですから。この失敗を受けて、恐らくアーノルト・シェーンベルク合唱団を使ったのだろうなあと私は想像しています。

とは言え、この全集が持つ重要性、意味といったものが否定されるわけではありません。むしろ、ここでバイヤー版を採用したことで、ザルツブルク時代のミサ曲がいかに素晴らしいのか、あるいは他の宗教曲もレヴェルが高いのかが証明されてもいるからです。恐らくこの演奏を聴いた後に、どんな演奏でもいいので戴冠ミサを聴いてみてほしいと思います。意外な発見があるかと思います。



聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
レクイエム ニ短調K.626
ラシェル・ヤカール(ソプラノ)
オルトルン・ヴェンケル(アルト)
クルト・エクヴィルツ(テノール
ローベルト・ホル(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ゲルハルト・デッケルト)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
(Teldec WPCS-6494)



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