今月のお買いもの、3枚目はパイジェッロのピアノ協奏曲全集の2枚目です。第2番、第5番、第6番、そして第8番が収録されています。
このCDで初めて、彼はピアノ協奏曲を8曲少なくとも作曲しているのだなとわかった次第です。これもウィキには説明がないので、ようやく分かったことなのです。
そう、「日本語版ウィキ」はこういった記述多いですね。確かに彼の作品の多くがオペラであることはわかりますが、オペラだけ作曲したのかと思われる危険性もはらんでいます。実際はピアノ協奏曲も作曲しているというわけです。
2枚目の第1曲目は第2番です。これはとても保守的な形式と構成をもつ楽曲です。3楽章制の急〜緩〜急で構成され、しかも各楽章が各々独立しています。
ところが、第2曲目の第5番では3楽章制ですが第2楽章と第3楽章がつながっている上に、第1楽章ピアノの導入はオケの旋律と必ずしも一致しないという、実に革新的なことをやっています。それは確かに、このウィキの一文を証明するのになっています。
「1772年に教会音楽の作曲に着手し、ジェンネラ・ボルボーネのためのレクイエムを完成。同年、チェチーリア・パッリーニと結婚、幸せな結婚生活を送った。1776年にエカチェリーナ2世に招かれサンクトペテルブルクの宮廷に赴き、8年間を過ごす。この間に魅力的な傑作《セヴィリアの理髪師 Il Barbiere di Siviglia》を完成させる。この人気はヨーロッパ中を席巻した。パイジェッロの《セヴィリアの理髪師》は、イタリア音楽の歴史において、一時代を画するものとなった。本作をもって、18世紀の巨匠たちが培ってきた気高い甘美さが姿を消し、新しい時代の目も眩むような超絶技巧に道を譲ったのである。」
このピアノ協奏曲では超絶技巧という側面はあまり感じられませんが、しかし彼以前の作曲家たちが培ってきたものを打破しようという意識を持っていた作曲家であったということは、この第5番でも充分に感じることが出来ます。
続く第6番と第8番はとくに冒険はしていない作品なのですが、じつは第6番にはモーツァルトのオペラの一節が入っていたりと、実にモーツァルトを敬愛していたかがよくわかる作品です。
しかし、パイジェッロの音楽が比較的評価されていない理由は私はモーツァルトではなくハイドンにあると考えています。パイジェッロよりも8つ年上でありながら、いち早くモーツァルトの才能を評価し、しかも自分の限界を知りつつも評価して、自分は我が道を行ったその人間性。ウィキの記述を完全に信用するとすれば、パイジェッロが劣っていたのはその点だろうと思います。ハイドンはあくまでも自分の音楽を尊重したうえで、モーツァルトの音楽を取り入れようとしたのに対し、パイジェッロは完全に「媚を売る」音楽になっているのが残念です。ただ、彼を擁護しますがかといっていい加減な音楽ではありませんし、きちんと気品もあります。
つまり、彼は最後までいわゆる18世紀の音楽家であったということなのです。ハイドンもモーツァルトもパトロンのために作曲したことは同じですが、自分の音楽というものを持っていたことは確かです。いっぽうでパイジェッロにはそれがないのです。それをこの全集はきちんと顧みさせてくれます。
パイジェッロの音楽はBGMとしては本当に素晴らしいものです。その点こそが、彼の音楽の特徴ですし、また彼の音楽性の限界なのではと思います。もし、その点で協奏曲をはずしオペラだけ記載したのであれば、ウィキの編集者の意図もわからないわけでもないなあという気がします。ただ、私自身としましてはこの全集でオペラがどんなものかはある程度想像できますが・・・・・まあ、一度は聞いてみようと思っています。やはり、「百聞は一見にしかず」ですから。
彼の音楽を高く評価するつもりはありませんが、しかし評価しないというのもどうなのかなあと思います。それはつまり、ハイドンやモーツァルトがなぜ素晴らしいのかが、ベートーヴェンやそれ以降の作曲家と比べられて単に古いと言うだけで切り捨てられる危険性を孕むからです。その点で、私はパイジェッロの音楽を、今後もできるだけ紹介できればと思います。
聴いているCD
ジョバンニ・パイジェッロ作曲
ピアノ協奏曲第2番ヘ長調
ピアノ協奏曲第5番ニ長調
ピアノ協奏曲第6番変ロ長調
ピアノ協奏曲第8番ヘ長調
ピエトロ・スパーダ(ピアノ、指揮)
オルケストラ・ダ・カメラ・ディ・サンタ・チェチーリア
(Brilliant Classics 94224/2)
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