かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:バッハ以降のチェンバロ協奏曲集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリをご紹介します。バッハ以降のチェンバロ協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

バッハ以降ということは、古典派が中心なのでは?と思いますよね。このアルバムに収録されている作曲家の中下で、純然たる古典派はハイドン一人です。それ以外はギャラント様式から古典派の時代、もっと簡単にざっくりと言えば、前古典派と言われる、ハイドンよりも以前の時代の作曲家たちです。

確かに、時代的には古典派の時代ではありますが、様式的に前古典派の範疇から逸脱しない作曲家たちなのです。その中で特に個性的なのが、1曲目のカール・フィリップエマニュエル・バッハです。さすが大バッハの息子であり、「ハンブルクのバッハ」との異名をとっただけある人です。

ja.wikipedia.org

この人も何度も取り上げていますので、詳しい説明は省いてぜひとも上記ウィキなどを参照していただきたいのですが、様式は明らかに父とは違うものを備え、バロックから古典派への橋渡しをした偉大な作曲家らしい風格を備え、和声も堂々としつつどこか不安定な部分も内在するという複雑さ。それはのちのベートーヴェンの和声をほうふつとさせる部分があります。

収録されている第38番がどの時期の作品なのかは、ネットで検索した限りではわからなかったのですが、それでもギャラントな様式から逸脱はしていません。そしてその個性が聴いていて飽きないのも魅力です。

続くベンダ。おもにオペラやジングシュピールで有名だった人ですが、チェンバロ協奏曲も書いています。カール・フィリップよりも年下であったはずなのに、聴いているとどこかカール・フィリップよりも古風に聴こえるのが不思議です。

enc.piano.or.jp

3曲目がハイドンベートーヴェンが存命中まで生きて作曲した人ですが、ここに収録されているHob.XVⅢ.6は1766年とかなり古い時期の作品。カール・フィリップよりは洗練されており古典派を感じますが、個性という点ではまだまだカール・フィリップのほうが強い感じがします。ハイドンは自作を偉大な先達と比べられていたのだろうと想像できます。

ja.wikipedia.org

そして最後がパイジェッロ。体制側について人生の最後ですべてを失った人ですが、作品には素晴らしいものが多い作曲家でもあります。とはいえやはり様式的には古いものです。ここに収録されている作品はおそらく6つの協奏曲として作曲された一つであり、だとすれば1781年とこれも古典派の時代ですが、様式的には前古典派の範疇を出ません。ですが古典派らしさも見られる作品で、アジャスト能力が逆に仇となったかもなあと思います。

enc.piano.or.jp

いずれにしても、19世紀にはいるくらいまで、チェンバロ協奏曲が作曲され続けていたということがわかる作品ばかりです。そう、「ピアノ」ではないんですね。こういうアルバムを聴く楽しみは、一つはチェンバロの音色をオケとの協奏という演奏面もありますが、その音色を聴いて如何にベートーヴェンが先進的だったのか、ということなのです。ピアノで作品を発表するという行為そのものが、じつは当時如何にアナーキーなことだったのか、ロケンローだったのか、ということなのです。

これだけのチェンバロ作品があるので、ハイドンモーツァルトは現在ピアノ協奏曲と言われている作品のほとんどもしくは初期の作品はチェンバロ協奏曲として書いています。一方ベートーヴェンは初めからフォルテピアノもしくはピアノのための協奏曲として書いているわけなのです。もちろん、楽器の性能が上がったということもありますが、その先進の楽器のために作品を書くということが、ベートーヴェンの時代如何に先進的なことだったのか、言い換えれば、どれだけ反体制だったのか、ということなのです。

ということは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲やピアノ・ソナタ、あるいはソナタと言われる重奏作品は、ベートーヴェンの批判精神の塊である、と言えるのです。どうしても交響曲という壮大な作品からそれを感じる人が多いのですが、こうやってチェンバロ作品を聴いていると、むしろ器楽曲こそ、ベートーヴェンの批判精神そのものなのだと気付かせてくれるのです。

そんな作品を演奏するのは、中野振一郎指揮コレギウム・ムジクム・テレマンBCJと並ぶ古楽団体です。CDからのリッピングであるにも関わらず、音質がいいのも素晴らしい点ですし、また演奏自体も生き生きとしており、その生きのよさが収録作品の古風さを強調すらします。古典派のハイドンですら1766年という初期作品だと、如何に古風で、ゆえにカール・フィリップと比べると如何に個性がないかまでが露になります。これは怖いことでもあり、また目からうろこでもあります。私たちは単に新しいからと言って持ち上げている作曲家はいないか?というチェックが働くことでもあります。けれどもそれは、文科省が築き上げた「官製音楽史秩序」の破壊でもあります。もっと言えば、私は彼らの演奏から、ね、ベートーヴェンって偉大でしょ?というウインクが見えてくるんですけれど、気のせいでしょうか・・・・・

 


聴いている音源
カール・フィリップエマヌエル・バッハ作曲
チェンバロ協奏曲第38番ハ短調Wq37
ジリ・アントニオ・ベンダ作曲
チェンバロ協奏曲ト長調
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲ヘ長調Hob.XVⅢ.6
ジョヴァンニ・パイジェッロ作曲
チェンバロ協奏曲イ長調
中野振一郎指揮、チェンバロ
コレギウム・ムジクム・テレマン

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。