かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:バッハ親子のオーボエ協奏曲

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、バッハ親子のオーボエ協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

ここでいうバッハ親子とは、ヨハン・セバスティアン(父)とカール・フィリップ・エマヌエル(息子)の二人を指します。それぞれ、音楽史に名を残した大家だと言えます。

ヨハン・セバスティアンはわかるけど、カール・フィリップ・エマヌエルって誰?という方にもう一度解説。ヨハン・セバスティアンの次男にして古典派の扉を開いた人で、特にモーツァルトには多大な影響を与え、その影響はハイドンを触媒にしてベートーヴェンにまで及んでいます。

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決して父の真似をせず、むしろテレマンの作風を参考にして新しい時代を切り開いていった人です。ですのでこの録音を聴けば、父と息子の音楽に多大な差があることに気が付くと思います。父を否定した人ではないんですが、父の音楽は否定したと言えるでしょう。それゆえに古典派の扉はカール・フィリップ・エマヌエルによって開かれたと言えるのです。

ですが、決してヨハン・セバスティアンが古い人だったのかと言えばそういうわけでもありません。実際、ここに収録されているヨハン・セバスティアンオーボエ・ダモーレ協奏曲は3楽章制。ヴィヴァルディが新しい様式を始めた人だとすれば、バッハはバロックという様式を完成させたうえでヴィヴァルディを引き継ぎ新しい様式をつないでいった人だともいえます。

カール・フィリップ・エマヌエルはそんな父を見ており、指導も受けていたからこそ、様式は父を引き継がなかったと言えるでしょう。精神を引き継いだというのが正確だと思います。収録されているオーボエ協奏曲Wq164とWq165の2曲は楽章構成としてはまだ古典派とは言えないものの、古典派の協奏曲と言っても過言ではないほど、ソリストカデンツァが重要視されています。和声は父ヨハン・セバスティアンとは全く異なりますし。

そのうえで、カール・フィリップ・エマヌエルは、自分の作品が広く演奏されることを見越したこともやっています。これは父ヨハン・セバスティアンから受け継いだものともいえますが、ここに収録されている2つのオーボエ協奏曲Wq164とWq165は、それぞれオーケストラパートを鍵盤楽器で代用してもいいようになっています。

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これは、モーツァルトが自身のピアノ協奏曲をピアノ四重奏曲へと編曲したり、リストがベートーヴェン交響曲をピアノで演奏できるようにしたりしたのと同じなんです。それを踏まえてか、この録音ではオーケストラは小さなアンサンブルが採用されています。

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実際、このバランスはとてもよく、聴いていて爽快で楽しくもあります。それでいて軽薄でもなく、自分の魂が喜んでいるのがわかるのです。ソリストのホリガーは言うまでもない優れたソリストでそのオーボエも気品があり、通奏低音を担当するソリストたちも縁の下の力持ちでいいリズムを刻んで、指揮者がいないカメラータ・ベルンの演奏に見事なまでの生命力を与えており、まるで大仏開眼供養の時の菩提僊那のような役割を果たしています。

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こういう、音楽史に根差しつつも音楽とは何か?という本質を外さない人間的な演奏は素晴らしいです。これぞ名演と言えるものです。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
オーボエ・ダモーレ協奏曲ニ長調BWV1053
シンフォニア カンタータ第156番「片足は墓穴にありてわれは立つ」BWV156より
トリオ楽章(カノン風トリオ)ヘ長調BWV1040
カール・フィリップエマヌエル・バッハ作曲
オーボエ協奏曲変ホ長調Wq165
オーボエ協奏曲変ロ長調Wq164
ハインツ・ホリガーオーボエオーボエ・ダモーレ)
カメラータ・ベルン
 トーマス・ツェートマイアー(リーダー、ヴァイオリン)
 マッシモ・ボリドーリ(チェロ)
 アンドレアス・エリスマン(チェンバロ


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。