かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:スクリャービン 神聖な詩、法悦の詩

今月のお買いもの、2枚目はスクリャービン交響曲第3番と第4番です。ともに標題音楽として「神聖な詩」「法悦の詩」という名称がついています。

これを買い求めたのは、まず以前からスクリャービン交響曲を全曲集めたいと思っていたこと、そして法悦の詩の演奏が幾つかほしかったことがあります。

まず、第3番「神聖な詩」です。1904年ごろ発表された作品で、一応4つの楽章からなっていますが基本的には楽章構成などはすでに古典派以来の伝統は崩れています。いや、正確に言えばハイドンの時代に戻ったと言っていいかもしれません。まずレントの序奏があって、その後急〜緩〜急の3楽章が存在するという構成になっています。そして、その3つが連続し、一つの作品として有機的に連携しています。

交響曲第3番 (スクリャービン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3)

時期的にはちょうど神秘主義に傾倒する時期であり、まさしくその宣言のような作品でもあります。ただ、その作品がまるでハイドンの時代を意識したかのような構成になっているのは興味深い点です。

次の法悦の詩と比べ、演奏のせいかもしれませんが哲学的な側面が強調されています。標題の日本語訳からはちょっと違い、人の欲望や人生と言ったものを想起させる音楽となっています。

次に、第4番「法悦の詩」ですが、これはすでに取り上げていますね。

神奈川県立図書館所蔵CD:スクリャービン 交響曲第2番・「法悦の詩」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/734

神秘主義真っ盛りの1908年に作曲されたこの曲ですが、以前からこの曲が持つ文字通り「エクスタシー」が私はあまり感じられないと思ってきましたし、少なくともこれまでエントリで紹介した音源はそう書いてきたと思います。

しかし、ようやくここで私の期待に添う演奏に巡り合ったように思います。それが以前批判した旧ソ連、現ロシアのオーケストラで実現されようとは・・・・・・

この演奏は、モスクワ交響楽団です。録音は1995年。当然ペレストロイカ後ということになります。いや、ベルリンの壁が崩壊した後ということでもあります。そのロシアにおいて、ようやくエクスタシーと真正面に向き合う演奏が出てきたことは、少なくとも芸術面でロシアが変わってきている証拠と言えるでしょう(変わったと言えるかどうかはまた別ですが)。

旧ソ連のオーケストラのような統率に加え、そこに豊潤さも加わり、その結果「艶」が確かに存在しています。帯の言葉通り「ご自身の性体験と重ね合わせて」聴ける演奏なのではないかと思います。

確かに、この曲は静かに始まり、途中幾度かの絶頂を迎えながら、最後の絶頂ではもうこれ以上ないというクライマックスを迎える構成です。それはまさしく、性行為を想起させるものです。

以前立てたエントリでは、それは一方では東洋で仏像の歓喜天として芸術へと昇華したことに触れましたが、その歓喜天もまさしく性行為にまつわる神様であり、そこから発展して繁栄や繁盛と言った神としても崇められています。

歓喜天
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9

面白いことに、歓喜天は性行為を奨励する神ではなく、それによって子孫繁栄を奨励する神であるという点です。それは密教における天部であり、両界曼荼羅にも描かれていることからも明らかです。つまり、欲望に駆られることを奨励する神ではない、ということです。

天部
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%83%A8

スクリャービンの「法悦の詩」も、いわゆる私が常に言います「情熱と冷静の間」のバランスがきちんと取れていないとなかなか演奏が難しいのではと思います。つまり、エクスタシーという点だけに重点を置いて演奏してしまうと、気持ちだけで空回りしてしまったり、あるいは性行為のエッチな部分だけが強調されてしまったりして、本来この曲が持つ気品さと気高さを表現できないのではないかと思うのです。一方で、冷静さだけでは無味乾燥な演奏になってしまいます。しかしこの演奏は、そのバランスが抜群であると思います。

指揮者もいいのだと思います。指揮者のゴロフスチンは初めて聞く名前ですが、この作品の本質をきちんと理解したうえで振っているのではないかと思います。オケが単に気持ちだけに流されることなく、しかしもっと性的な部分を強調したい部分ではそれをきちんと要求し、それにオケがきちんと応えているこの演奏は、まさしく私がほしかった演奏であると言っていいと思います。

ナクソスもこういった演奏があるので、決してばかには出来ないのです。



聴いているCD
アレクサンドル・スクリャービン作曲
交響曲第3番ハ短調作品43「神聖な詩」
交響曲第4番作品54「法悦の詩」
ドミートリ・ロカレンコフ(トランペット独奏)
イゴール・ゴロフスチン指揮
モスクワ交響楽団
(Naxos 8.553582)



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。