かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:スクリャービン ピアノ・ソナタ全集1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から3回に渡りまして、スクリャービンのピアノ・ソナタ全集をとりあげます。

私がスクリャービンに触れたのは、某SNSでの鑑賞会。「法悦の詩」でしたが、スクリャービンと言えば圧倒的にピアノ曲なのですよね。

そいいうこともあって、いずれはスクリャービンピアノ曲を俯瞰できればなあとずっと思っており、県立図書館に行ったときにようやく実現できた、ということになります。今なら府中市立図書館にあるとは思いますが・・・・・

しかも、このアルバムは、たとえばウィキあたりに出てくるそうそうたるピアニストたちではなく、日本の小山実稚恵。ロケーションもこの第1集は彩の国さいたま劇場と日本国内。日本人による日本におけるアルバム、ということで借りてきた経緯があります。

ただそれだけで選択したこのアルバム、まさかこんな海外との交流を、命を守るためとはいえ、断絶せざるを得ない時代に聴くことになろうとは、思いもよりませんでした。海外アーティストが来れなければ、国内アーティストで演奏を聴く以外方法がないわけですから・・・・・

さて、その第1集。ピアノ・ソナタ第1番から第5番までが収録されており、スクリャービンのピアノ・ソナタの変遷が少し見えている感じの選曲となっています。スクリャービンの全集において、番号順というのはとても重要だと思います。おそらく、法悦の詩のイメージが強いと、第1番などは腰抜かすと思います。あまりにも古典的であることに・・・・・

とはいえ、和声的には当時の後期ロマン派だったり、国民楽派だったりの影響を強く受けていますから、当然古典的というのは「法悦の詩」の神秘和声に比べて、ということにほかなりません。魅力的なリズムと和声、そしてその二つが作り出す魅惑的な世界。一気にスクリャービンの芸術に引き込まれていきます。

小山女史のピアノは、かなり激しいリズムの中でも歌うことをあきらめず、ゆったりとした部分では思いっきり歌う点がとても魅力的。スクリャービンの「心の声」を、自分が代弁して届けるんだというような意思すら感じます。いや、「私はこのスクリャービンの心に声に共感して、こんな気持ちを持ってるの!」という、女史の魂の叫びすら聴こえてきます。

はじめはおっかなびっくりだったんです、じつは私。えースクリャービンのピアノ・ソナタ?どれだけ〇ッチなの?とすら。しかし実際に小山女史の演奏を聴けば、なんと魅力的なのだろう!と。こういうのを食わず嫌いと言います。いやあ、こういう時期だからこそ、たとえばスクリャービンのピアノ・ソナタとかハイレゾ相当で配信とかないでしょうかねえ・・・・・

特に、スクリャービンベートーヴェンのピアノ・ソナタを敬愛しているさまがこの第1集では見え隠れしていますが、それは単にまねるというのではなく、咀嚼して自分の言葉で紡ぐというもの(例えば、第2番「幻想ソナチネ」)。その美しさと言ったら・・・・・小山女史の、その美しさへの憧憬、そしてリスペクトも十分聴こえ、私自身もスクリャービンという作曲家の世界にどっぷりつかっています。こういう演奏、いいですね~。

第2集以降も本当に楽しみです。

 


アレクサンドル・スクリャービン作曲
ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品6
ピアノ・ソナタ第2番嬰ト短調作品19「幻想ソナチネ
ピアノ・ソナタ第3番嬰ヘ短調作品23
ピアノ・ソナタ第4番ヘ長調作品30
ピアノ・ソナタ第5番作品53
小山実稚恵(ピアノ)

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