かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:BCJ バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ47

今月のお買いもの、今回は枚数の都合上このエントリだけ金曜日に立てさせていただきました。毎月おなじみとなっているバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハ・カンタータ全曲演奏シリーズの第47集です。

まずは第36番「喜び勇みて羽ばたき昇れ」です。この曲はいつ成立したか、そしていつ初演されたのかということになりますととてもあいまいと言いますか、限定できないほどの改訂がなされている作品です。もともとは1725年に作曲された世俗カンタータがもとになっていまして、それがいろんな目的ごとに改訂され、発展した結果、最終的に1731年に成立したかたちで現在に至っています。

しかしこのCDでは基本的に1726年成立のものを扱っており、時代ごとを基本としているBCJがいきなり1731年に飛ぶわけがありません。実は教会カンタータとして改訂されたのが1726年なのです。今では世俗カンタータとしてではなく、教会カンタータとして伝わっています(世俗カンタータとしても歌詞だけは残されていますし、実際世俗カンタータとしても演奏されたことが1726年以降もあったようです)。

もともとこの曲がトーマス校教師の誕生日祝賀用として成立したことからリズミカルで、それを生かして主の来臨の喜びを表しているのがこの曲で、構成としてはこの時期としては珍しく合唱と3つのアリアをコラールが繋ぎレチタティーヴォがないという形式を取りますが、それはこの曲が世俗カンタータに由来することも理由なのかもしれません。

次に第47番「おのれを高うする者は、卑(ひく)うせられ」です。1726年10月13日に初演された曲で、再演も1730年代後半と1742年ごろに行なわれています。それは歌詞のテクストがイエスの「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」という言葉によっているからなのでしょう。現代の異教の私たちにも十分これは耳の痛い言葉ですし、また仏教でもいろんな聖者が私たちを諭している内容でもあります。

それを音楽で対比させて展開していく様は、私たちをその言葉の本質へと引き込んでゆきます。また、この曲もご多分に漏れず第3曲を転回点とする鏡像(シンメトリー)構成です。

次に第27番「たれぞ知らん、わが終わりの近づけるを」です。1726年10月6日にライプツィヒで初演され、1731年以前にも再演されたこの曲は、以前もご紹介したナインの若者の物語です。

ナインの一人息子�A
http://biblestory.jugem.jp/?eid=276

復活した若者を見て私もあのように復活したいと願う老人の喩であるわけですが、このカンタータでもそれが根底を貫いています。通常は第3曲は伴奏がオルガンとオーボエ、そしてコントラバスですが、ここではオルガンがチェンバロになっていまして、オルガンヴァージョンは最後に別箇に収められています。これはもともとがチェンバロであったためで、原典重視の鈴木氏らしい選択です。オルガンへいつ変更されたかは「バッハ事典」には記述がないのですが、クラヴィーアを得意とした長男フリーデマンの演奏を想定してのことと考えられるとの記述があることから、恐らく1731年ごろの再演時に変更されたと思われ、そのために事典では再演の時期を「1731年より前」と記述しているのだと思います。丁度この時期はフリーデマンがライプツィヒ大学の4年生の時に当たりますので、何かしら父が息子のためにと思って演奏機会を与えたと考えることは不自然ではありません。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
http://yamaha.jp/pianorg/composer/75

私としてはオリジナルのチェンバロのほうがいいように思いますが・・・・・さて、大バッハはいったいどう考えたのでしょうか。今ではオルガンのほうが通常であるという点に、大バッハの長男フリーデマンへの期待と溺愛をかんじざるを得ませんが、さて・・・・・それがよかったのか悪かったのか。フリーデマン自身は幡から見ますとあまりいい人生を歩いているとは思えません。彼自身もそれは感じていたようですが、実際には彼自身がもがけばもがくほど悪い方向へ行ったようです。彼はクラヴィーア、特にチェンバロで素晴らしい作品を残していますし、その点では父である大バッハの教えが花開いた部分があったわけで、現代の私からしますとどんなにいきがっても父を越えられないのであればその一点突破で勝負すればもっと人生は変わっていただろうになあと哀れでなりません。その意味でも、もしオルガンヴァージョンがフリーデマンを想定したものであったとすれば、その必要はなかったのになあと思います。

実際私は、フリーデマンのクラヴィーア曲を聴きましてぶっ飛んだことがあります。主旋律に比べ通奏低音部がおなじリズムを2倍の遅さで演奏するという作品ですが、それは本当に素晴らしいものでした。それだけのものをたたき出せるわけですから、無理して父を超えるよりも、しっかりと足元を見つめて自分の得意とする分野で生きていけば他の息子達と同じように評価されたのになあと思います。

そんなことをあえて考えてほしくてオルガンヴァージョンも並べたわけではないのでしょうが、それでもやはり考えてしまいますね。

演奏面としてはソプラノのハナ・ブラツィコヴァが特色ある歌い方に注目です。これを評価するかしないかは、聴き手次第だと思いますが、私はこれであれば数年前の鈴木美登里女史の歌唱も決して劣っていないなあと思います。それは逆に、当時すでにBCJの演奏が世界レヴェルであったということを物語る証拠でもあります。

日本であまり人気がないことがいいことなのかどうか、こういった演奏を聴きますと判断に迷います。そう、「なでしこジャパン」同様に・・・・・




聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第36番「喜び勇みて羽ばたき昇れ」BWV36
カンタータ第47番「おのれを高うする者は、卑(ひく)うせられ」BWV47
カンタータ第27番「たれぞ知らん、わが終わりの近づけるを」BWV27
カンタータ第27番「たれぞ知らん、わが終わりの近づけるを」BWV27 第3曲のオルガンヴァージョン
ハナ・ブラツィコヴァ(ソプラノ)
ロビン・ブレイズカウンターテナー
水越 啓(テノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1861)



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