かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:スクリャービン 交響曲第2番・「法悦の詩」

今回の神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーは、スクリャービンを取り上げます。これから何回かスクリャービンが登場してきます。今回は彼の祖国である旧ソ連のオーケストラの演奏です。

この音源を借りましたのは2年ほど前ですが、なぜか当時無性にスクリャービンが借りたくなっていました。某コミュなどで紹介されたのがきっかけだと記憶しています。スクリャービンと言えばピアノなのですが、もともと管弦楽が好きな私としてはなかなかピアノへと食指が動かず、ベートーヴェンなどと同様まずは好きな管弦楽曲から入ろうと考え、スクリャービンの作品の中でも有名な交響曲から入ることにしたのです。

アレクサンドル・スクリャービン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3

そもそも、管弦楽曲は少ないスクリャービンなのですが、私ですら実はこの音源に収録されている「法悦の詩」の名まえだけは知っていました。いかに日本は管弦楽が人気の上位に来ているかが分かりますね。スクリャービンはその作品としては圧倒的にピアノであるのも関わらず。

アレクサンドル・スクリャービンの作品一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7

しかし、それを嘆いたところで何にもなりませんから、まずはとりあえず人気の曲から入ろうと思ったわけなのです。

さて、まず交響曲第2番ですが、1901年に完成された曲です。スクリャービンと言えば神秘主義と言われているのですが、この第2番にはさほどそれが前面に押し出されていません。むしろこの時代特有の、複雑和声によるロマンティシズムといったもののほうが強い作品です。それでいてスクリャービンの個性も充分感じる曲で、マーラーでもなく、ブラームスでもない、ロシアの後期ロマン派の香りがします。

それゆえなのでしょうか、その後この曲が評価された時には本人の評価が冷やかだったと言います。この曲だけでも、スクリャービンの才能が傑出し、誰も理解できなかった、あるいは彼の思考についてゆくことが出来なかったと言えるかと思います。この曲は当時「こき下ろされた」曲だったのですから。

交響曲第2番 (スクリャービン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3)

しかし構成を見ることが好きな私としましては、とても重要な情報が詰まっていそうだと思います。それは、この曲が全体として「シンメトリー」になっている、ということです。

どこかで聞いた言葉でしょう?そう、私がBCJのアルバムをご紹介するときに最近よく使う言葉です。ある1曲を転回点として、最初と最後が鏡像のように合わさる構成のことです。

ウィキにはバッハに関する説明は一切ありませんが、しかしこの点からも、まったく無関係なのかは私は疑問に思います。まだスクリャービン神秘主義に傾倒する前の作品であれば、形式というものに重きを置いていることは、明らかだからです。そのためなのか、図書館から借りてきたものは5楽章のこの曲を3楽章としてとらえています。それはもともとこの曲が第1楽章と第2楽章、第4楽章と第5楽章が連続して演奏されるためですが、もしかすると3楽章という解釈のほうがあっているのでは?という気がします。楽章というよりは、3部に分かれていると考えるほうが適切かもしれません。

それもバッハのカンタータにいくつか出てくる構成です。彼がバッハにその範を取ったのかは定かではありませんが、その影響下にあるとは言えるかと思います。

次に第4番である「法悦の詩」です。1908年の作品で、単一楽章となっています。形式的に考えた時、まさしくその後の作曲家たちがなぜ単一楽章を交響曲で好むようになったのか、この曲から垣間見えます。スクリャービンの影響を強く受けた作曲家のひとりにシマノフスキがいますが、彼は交響曲第1番で2楽章制にしています。交響曲は4楽章という概念がこの時期完全に打ち捨てられたと考えてもいいのではと思います。そして音楽は時代の波も相まって、人間の内面をえぐる作風へと変化してゆきます。

この「法悦の詩」はまさしくその先駆けとも言うべき作品だと思います。スクリャービン神秘主義に傾倒してからの作品になるわけなのですが、まさしく人間が持つエロスというものが解放された楽曲とも言えるかと思います。

もともと原題は「The Poem of Ecstasy」です。エクスタシーという言葉はどうしてもいやらしいという印象が強いと思いますが、もともとエクスタシーとは性的喜びという意味ですから、何もいやらしいものだけでなく、人間が普通に持つ喜びでもあるわけです。

スクリャービンが影響を受けた神秘主義というのは、実はその源流をたどってゆくとインド周辺へとたどり着きます。いわゆるヒンドゥーの神々ですが、実はそれは仏教にも影響を及ぼしていまして、仏を護る役割を持つ「天部」という神々がいますが、その中に「歓喜天」というのがいるのです。この神様がまあ、・・・・・な神様なのです(点線部は想像をたくましくしていただいて結構です^^;)。

歓喜天
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9

歓喜天は通常ウィキの図にもあるように抱擁する格好で表現されることが多いのですが、そこから発展して子孫繁栄などの御利益があるとも言われています。しかし天部の中でも歓喜天ほど人間の欲望というものをストレートに表現しているものはありません。他はむしろそれを戒めるような表現になることが多いにも関わらずです。

私はこの曲を聴いたとき、すぐさまこの歓喜天が頭をよぎりました。まさしくこの歓喜天が持つ法力が、音楽を支配している・・・・・そんな印象を持ちました。洋の東西で、一方ではスクリャービンの「法悦の詩」などとして結実し、一方ではそれよりも1000年ほども早く、仏像として結実した、そう思うのです。

その点から言いますと、実はこの演奏は若干不満です。もしかするとエクスタシーの頂点の表現というものが若干弱いのではないかという感覚も受けるのです。もしかするとそれは単に録音が古いからなのかもしれませんが・・・・・

というのも、これはスクリャービンの祖国であるロシアでは、演奏中止になった歴史があります。

交響曲第4番 (スクリャービン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3)

さらにそういった禁欲的なものは体制として旧ソ連へと引き継がれました。この演奏はUSSR交響楽団。「ソビエト国立交響楽団」と訳されるオーケストラです。少し理性的すぎるのかなあという印象もあります。だからこそ実はすっと音楽が入ってくるという特色もあるんですが、しかしそれはもしかすると、逆にこの曲の魅力を半減させていないかなとも思うのです。

今ではこの演奏に限定することなく、他の演奏が聴きたくなっています。実は借りた当時、スクリャービンもできれば図書館で全部借りてと思っていたのですが、結局全部そろうことはいまだにありません。であれば、CDでそろえてしまうことも選択肢としてあってもいいですし、むしろ聴き比べになりますからそのほうが視野が広がっていいのかもしれない、そう思ってもいます。

その点では、目を見開かせてくれた、素晴らしい演奏であると今では思っています。まあ、スヴェトラさんに文句を言える筋合いでもないですしねえ。



聴いている音源
アレクサンドル・スクリャービン作曲
交響曲第2番ハ短調作品29
交響曲第4番「法悦の詩」作品54
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
USSR交響楽団
レフ・ボロディン(ソロ・トランペット)



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