かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ホルン協奏曲全集

今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、モーツァルトのホルン協奏曲全集です。

これを借りたのはもちろん、前回ご紹介した管楽器のためのものにホルンが抜けていたからです。

モーツァルトが生きた時代は、協奏曲と言いますと管楽器隆盛の時代なのです。今でこそピアノ、つまりクラヴィーアが全盛という感覚があると思いますが、当時はなんといっても管楽器と弦楽器です。

実はモーツァルトの協奏曲を俯瞰してみると、モーツァルトの生きた時代というのが、実に大変動の時代であったことを教えてくれます。当時新興の楽器であったクラヴィーアのための協奏曲をたくさん作曲し彼自身もクラヴィーア演奏家だったわけで、なぜ彼が時代の寵児だったのかが分かります。天才というのは実にクラヴィーアを称してなのですね。作曲に関してはあくまでも後世の人の評価です。その一方で、管楽器の協奏曲も書いているというわけなのです。

これがベートーヴェンになりますと協奏曲と言えばピアノになります。弦楽器はヴァイオリンのみ。三重協奏曲も弦楽器とピアノであって、管楽器が一つもないということに気が付かされます。ハイドンは数が少ないですが弦楽器と管楽器が中心で、クラヴィーアはわずかしかありません。バロックを見てみると、ヴィヴァルディは弦楽器と管楽器が中心で、バッハもやはり弦楽器とわずかに管楽器で、チェンバロはわずかです。

こう見てきますと、モーツァルトは時代の変化の中でその要請に合った作品を作り続けた作曲家であり、だからこそ彼の協奏曲のジャンルをみますと時代を感じるのです。

その作品たちも、時代というものを感じさせるものが多く存在します。

まずいきなりホルンと管弦楽のためのロンド 変ホ長調K.371です。これは散逸したホルン協奏曲K.307bの一部だったと言われているもので、1781年の作品です。もともとは断片として伝えられてきましたが、この音源では補筆完全版として演奏されています。H.クリングとB.パウムガルトナーの二人による補筆がありますがどちらなのかは借りた時には記載がありませんでした。

次にホルン協奏曲第1番です。実はこの曲は二つの作品をつなげたもので、ロンド楽章はK.514として伝えられてきました。ネットではこちらのサイトが詳しく載っていますが、事典ではK.514に関してはジュスマイヤーの補筆という姿勢を取っているということは触れておきます。

Mozart con grazia
ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412 / 514 (386b)
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op4/k412.html

もしこれがモーツァルト真作となればクラリネット協奏曲を抜いてモーツァルト最後の協奏曲となることでしょう。もしかするともうそう言い切ってもいいのかもしれませんが、ロンド楽章がジュスマイヤー補筆である上に中間楽章がないことから、現在はそこまでは見送られているようです。第1楽章は某伝説達成番組において料理が出来上がった時に演奏される曲で、聴かれますと「ああ、あれか〜」と思われるでしょう。確かにそのシーンにぴったりな優雅な旋律を持ち、さらに低音部はリズムを刻むという、実にモーツァルトらしい構造を持っています。ロンドもそうなのですが、やはり旋律線がモーツァルトとは若干違う部分があります。

3曲目はホルン協奏曲第2番です。1783年にホルン奏者ロイトゲープのために作曲したものです。モーツァルトのものとして残っているホルン協奏曲は、つなぎ合わせた第1番も含めロイトゲープのために作曲されたものであり、他には断片として残っているものの中には他の奏者のために作曲されたものもありますがおおむね彼のために作曲されたようです。

兎に角モーツァルトはロイトゲープとは冗談を言い合える仲だったようで、残っている史料からはかなりどぎつい冗談まであります。かなり親密な仲だったことをうかがわせます。そのせいか、ホルン協奏曲はどれもその成立年からして会話するような協奏曲となっています。この第3番でもそういった点は顕著です。ここでも彼の生きた「時代」を感じます。

次に第3番です。1787年にこれもロイトゲープのために作曲されましたが、別の説もあります。というのも、この第3番は彼の自作品目録の中に入っていない曲だからなのです。

Mozart con grazia
ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op4/k447.html

それゆえにいろんな説が出されている作品ではありますが、今では成立年は科学的分析によって1787年と断定され、誰のためなのかが焦点となっている作品です。しかし誰のためであろうが、この曲は彼のホルン協奏曲の中でも最も素晴らしいとされている作品なのです。確かに第1楽章から第3楽章へといたるその道程は、ため息が出るほど流麗ですし、全体的な構造を見ても彼らしいバランスの良さです。第1楽章のカデンツァではピアノ協奏曲でもどこかで出てきそうな旋律が出てきますが、このカデンツァがモーツァルトによるものなのかそれとも演奏者によるものなのか、それともまったく第三者によるものなのかは定かではありませんが、素晴らしいものです。

その次がホルンと管弦楽のための断章ホ長調K.494aです。1785年に書かれた作品で、かつては第1番の緩徐楽章とされていたものです。今では他の曲の第1楽章に使うつもりだったのではと推測されています。実はこの曲はアレグロで、確かに1785年の時期で、緩徐楽章にアレグロを使うということはよほどモーツァルトが何か記述を残していませんとあり得ないと思います。どんな作品でも協奏曲では彼はこの1785年という時期では緩徐楽章はそれなりのテンポになる指定をしていますので、アレグロはあり得ないからです。最後ぶつぎれになってしまいますが、全体的な旋律の流麗さや全体の構造に耳を傾けてみますと、この曲の完成した姿が見たかったなと思います。

最後に第4番です。第3番より前の1786年に作曲された作品で、これもロイトゲープのために作曲されています。カデンツァは私はこの演奏のこちらのものの方が私は好きですね。あくまでも協奏曲の旋律から発展させている点で、モーツァルトのものでないとしてもそれに似たものになっているように思われるからです。カデンツァはあくまでも演奏者の技量を披露するものなので、意外なほど奇をてらうことはモーツァルトカデンツァを作曲するときにはやっていません。少なくともそれはクラヴィーア協奏曲ではそうなっていますので、私としてはいきなり他の旋律が出て来るのではなく、あくまでもその曲の旋律からどう発展させるのかが現代でも演奏者の腕の見せ所だと思っています。それは昨日も触れましたが、モーツァルトが「アレンジャー」の側面があったから、なのです。

ホルン協奏曲すべてに言える特徴は実にそれぞれ構造的に完全に古典派の音楽であり、ソリストが演奏している間はお休みということが少ない作品がずらっと並んでいるということなのです。その点からも、モーツァルトのホルン協奏曲というものは単に美しいというだけではなく、時代の変化というものも私たちに伝えているのです。

演奏者はそれを淡々と紡ぎだしています。ホルンのソリストが指揮もするというスタイルで、恐らく当時の演奏スタイルにのっとったものと思いますが、それがアンサンブルが破たんせず成立しています。それはあきらかに実は一部ソリストが演奏しているときにはオケがお休みという部分もあるからなのですが、お休みのあるなしを絶妙に使い分けているモーツァルトの手腕に、本当にため息が出ます。



聴いている音源
ヴォルグガング・アマデウスモーツァルト作曲
ホルンと管弦楽のためのロンド 変ホ長調K.371
ホルン協奏曲第1番ニ長調K.412
ホルン協奏曲第2番変ホ長調K.417
ホルン協奏曲第3番変ホ長調K.447
ホルンと管弦楽のための断章ホ長調K.494a
ホルン協奏曲第4番変ホ長調K.495
デール・クレベンジャー(ホルン)
フランツ・リスト室内管弦楽団



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