かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト管楽協奏曲集3

今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、モーツァルトの管楽器のための協奏曲集の第3回目で、収録曲はオーボエ協奏曲、バスーン協奏曲、そして協奏交響曲です。

この音源を借りたのはこのラインナップに惹かれた部分もあったのです。この曲集、オーボエ協奏曲とフルート協奏曲第2番とがともに収録されているんですから!

こういったものというのは、昔は結構CDで出ていたんです。フルート協奏曲とオーボエ協奏曲とがカップリングになっているのとかが。いつの間にか、どちらか一方だけになってしまいました。

それはおそらく、どちらも同じであるという単純な理由だからだと思いますが・・・・・

皆さんもそう思われますか?さて、その真相は・・・・・

実は、細かいところで違います。演奏の違いもあるかも知れませんが、付点などが微妙に違いますし、そもそも、主調が全く異なりますので、まったく同じ音のようであっても雰囲気は変わってきます。しかも、オーボエとフルートで特色が違うことから、当然音色も異なります。また、カデンツァも異なります。

そういった点を楽しむのがこういった「編曲もの」の楽しみなのに、なぜ「もともと同じだから」という理由でカップリングからはずすようなことをするのかが理解できません。

今、すべてのジャンルでCDの売り上げは落ちています。それは単にDLが多くなったというだけでは理由にならないように思います。クラシックファンは音質にこだわる人が多いことから、mp3によるDLを好まない人が多数います。だからこそ、潜在的にCDを買う需要はあるわけなのですが、それも落ちているというのは、一つには景気、そしてもう一つにはやはり魅力的な商品がない、ということに尽きるかと思います。

現在の音楽シーンを見渡した時、全ジャンルに言えるかと思いますが、巨人たるアーティストはいません。ロックにまだ一部いらっしゃるくらいで、他のジャンルはほとんどもっと小粒の人たちに世代が交代しています。そんな中で魅力的な商品とは、「音楽の本質を伝えることが出来るような内容」であることであると私は思います。

となると、実はフルート協奏曲とオーボエ協奏曲を並べるということは非常に大切なことだと私は思います。それが一枚で収まって、そこに面白みを感じた人はまたそれぞれの曲を自分で聞き比べはじめるでしょう。そうしてCDはまた売れていくことになります。その機会を奪っていることで、自らの首を絞めているというような気がします。

実際、mixiの某コミュでそのような企画が立ちますと結構人気です。それは、クラシックファンがそういった内容のCDを求めているという証拠でもあると私は考えます。

この曲集では演奏者の都合で別になってしまっているのが残念です。できれば、一緒の演奏者で比べることが出来ると、もっと面白かったのではないかと思います。それでも、一つに収めたことはとてもいい姿勢だと思います。実際、管楽協奏曲と謳っていながら、ホルン協奏曲は完全に抜けてしまっていますが、それでも私は満足です。できればホルン協奏曲も一緒の方がなおいいですが、なくてもオーボエ協奏曲とフルート協奏曲第2番を比べることが出来ただけでもありがたいことです。

次はバスーン協奏曲ですが、この曲はファゴット協奏曲と呼んだ方が分かり易いかもしれません。1774年6月4日にザルツブルクで作曲されたこの曲は、他の管楽器の協奏曲とは違い雰囲気が一時代前のものを持っています。まさしくソロと楽器が会話するような協奏曲ですが、旋律的には確かに時代遅れ的な雰囲気を持ちながら、実際にはすでに古典派の様式としては完成されている協奏曲です。いわゆるソロの部分でもオーケストラは鳴っていまして、決してそこでオーケストラがいったん演奏を停止するということは内容になっています。その点が様式的に注目すべき曲でして、この点はもっと強調してもいいのになあと思います。K.191でですから。事典ではかすかに「ギャラント様式への転向を示す」とだけ触れています。

演奏としてもとても落ち着いていて一つ一つの音をかみしめながらもテンポよく軽妙さを前面に出しています。こういった姿勢はとても私好みです^^

最後は協奏交響曲K.297bです。モーツァルトはいくつか協奏交響曲を書いたとされていますが、完全な形で残っているのは実はたった一つでして、これはそれ・・・・・ではないのです。オーボエクラリネット、ホルン、ファゴットのためのこの協奏交響曲は、ソロパートはモーツァルトだと言われていますが、オケパートは後世の人物が書き加えたものであると言われています。実はこの曲はもともとはクラリネットの代わりにフルートだったようで、そちらが史料で伝わっていたところに、19世紀になってこの曲の楽譜が発見されたところから研究が始まっているという経緯を持つ曲です。

確かに、ソロパートはとても流麗な旋律を持ちながら、オケパートは幾分とぎれとぎれな部分があります。私としては休符が長すぎるのではという印象を持っていまして、楽譜を見てみませんと何とも言えませんが四部休符が多用されているのではないかという気がします。この曲はとても軽妙な作品ですし楽器も特に第1楽章はよく動き回りますので、多用するとすれば八分休符もしくは16分休符だと思いますので、もしそうだとすればオケパートが後世の人のつけたものというのは納得です。

それにしても、その「止まり方」はとても人をビックリさせるようなものになっており、こういった事をするのは私はハイドンのような気もするんですが・・・・・いずれにしましても、誰の補筆か、あるいは補筆ではなくモーツァルトの編曲なのかはわかっていません。

この演奏はそのもともとであろうクラリネットの方の作品で演奏されていますが、普通はフルートで演奏されることが多いそうです。これもフルートとクラリネットで聞き比べをしてみても面白いかもしれませんが、さすがにそこまでは編集の都合上難しかったようです。いつかそれはまた探して聴いてみたいなと思います。4つの管楽器によるアンサンブルはそれぞれがバランスがよく個性を主張しながらもまったく邪魔になることがないですし、演奏者もそれを心がけている様子が手に取るようにわかるのがこの演奏の素晴らしいところだと思います。もちろんそれは、元々作品がそれだけ完成されているという点もあるのだと思います。それだけに、オケパートは貧弱であるのが残念です。もちろんそれはオケに責任があるのではなく、作曲者が悪いのです。その点からも、確かにこの曲はともにAhnになっているのは確かなことだなあと思います。

さて、管楽器と言えばこの時代ホルンやトランペットも忘れてはならないんですが、モーツァルトのものはトランペットは記録にだけ残っていますが、ホルンは4つも作曲しています。そしてそれはこの曲集では抜け落ちていましたので、後日別に借りてきたのですが・・・・・それはまたのお楽しみとさせていただきます。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
オーボエ協奏曲ハ長調K.314
ファゴット協奏曲変ロ長調K.191
協奏交響曲変ホ長調K.297b(K.Ahn.C.14.01)
バルト・シュネーマン(オーボエ、K.314・K.297b)
ロナルド・カルテン(ファゴット、K.191・K.297b)
ハルメン・ド・ブール(クラリネット、K.297b)
ヤコブ・スラグテール(ホルン、K.297b)
レフ・マルキス指揮
アムステルダムシンフォニエッタ



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