今回は、コンサート雑感を久しぶりに書いてみたいと思います。聴きに行ったのは、川崎市宮前区で活動するアマチュア合唱団、混声合唱団「樹林」の25周年記念の第18回定期演奏会です。
この「樹林」という合唱団は、以前私が所属していた合唱団の母体となった団体で、かつては音楽監督は守谷弘氏が務めていましたが、その守谷氏が自分で別団体を設立してからは、様々な指導者を呼んで活動し、今では辻氏を指揮者として迎えています。
さて、この合唱団のコンサートを聴きに行くのは今回で2度目になろうかと思います。一度目はまだその守谷氏が別に設立した団体に私が入っていたころに聴きに行ったときで、それからもう16年も経ったのかと、時間の流れの速さを感じます。その時に聴いたのが、以前エントリを立てたシューベルトのミサ曲第6番で、そのコンサートがきっかけになってそのCDを買ったのです。
マイ・コレクション:シューベルト ミサ曲第6番
http://yaplog.jp/yk6974/archive/472
このエントリを上げた時、いずれシューベルトのミサ曲を全部集めたいと思いますと述べていますが、それが今月ようやくかなったのです。其れにつきましては別コーナーでエントリを立てる予定です。そのきっかけになったのが1995年11月の虎の門ホールでの演奏会(その時にはモニューシュコの「オストロブラムスカの連梼」の日本初演もありました)で、それ以来となります。
まず第1曲目がバッハのイ長調ミサ。バッハのミサ曲については先日のエントリで紹介していますが、ルター派ではまったく珍しいというものではなくたまに演奏の機会があったということを述べましたが、此れこそ通常よくカンタータとともに演奏された曲になろうかと思います。編成的にカンタータと一緒で、フルートが入ることがミサ曲としては珍しく、その理由はまさしくこの曲がカンタータを母体とし、カンタータとともに演奏されたからという理由なのです。
マイ・コレクション:ソリストがいないロ短調ミサ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/724
演奏全体に言えることなのですが、合唱団のアンサンブルは素晴らしいです。それは16年前と全く変わらないなと思います。しかしながら平均年齢がずいぶんと上がってしまったことで、曲全体でコントラストをつけることができなくなっているなと感じました。特にこのバッハではpとfのコントラストをつけることができていないことが目につき、さすがのこの団体もよる年波には勝てないのかと思いました。
ソリストとオケはアマチュア合唱団の演奏会にしてはもう過ぎるほと素晴らしく、特にソプラノの佐竹女史は音が上がる場面での力の抜け具合が最高です。抜けている分美しく音が響いて飛んできますし、そして十分力強いのですね。ぜひとも合唱団員はそれを「盗んで」ほしいです。その点が足りないことが実は次の曲で明らかになってしまいます・・・・・
次の曲は信長氏の「ヴィヴァルディが見た日本の四季」です。この曲はヴィヴァルディの「四季」を原曲として、それぞれ4楽章の季節ごとにその音楽に合う日本の唱歌を載せるというものなのですが、私は信長氏がこの曲を単なる合唱曲ととらえて書いたとは思えませんでした。なぜなら、原曲が「四季」だからなのです。コンサートのブックレットから引用しますが、信長氏はこの曲を作るに当たり、予想以上に困難な作業だったと述べています。それはそうでしょう、「四季」は協奏曲なのですから。
四季 (ヴィヴァルディ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3_(%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3)
この曲が当時としてはあまりにも先進的すぎて私たちはこの曲をバロックとはとらえていないのではないかと思いますが、この曲は古典派的な要素を持ったバロックの協奏曲で、当然トゥッティの部分とソリストだけの部分とがあります。そのトゥッティでは「協奏」しなければいけないわけなのですが、信長氏はきちんとそれを踏まえた作曲をしています(特に、第4楽章の「冬 ペチカ」)。しかしながら、合唱団はこの曲を「オーケストラ伴奏の合唱曲」ととらえ、もしかすると指揮者もそういった視点に陥っていなかったかと思っています。
特に通常では入れないチェンバロを入れるということは、その通奏低音に従って演奏することを意味する筈ですがそれを合唱団が無視しています。特にそれが顕著だったのが第1楽章の「花」で、トゥッティの部分で思い切りフォルティシモしてしまっています。もちろん楽譜上はおそらくそれで問題ないとは思いますが、100名近い合唱団員が実際にそれをやってしまうと、滝廉太郎の原曲に限りなく近い演奏をしてしまったなあと思います。それは信長氏の作品ではもうなくて、あくまでも唱歌である「花」のオーケストラヴァージョンになってしまいます。
この曲はあくまでも「ヴィヴァルディが日本に来たとして、彼の代表作である四季と日本の唱歌が出会ったら、いったいどんな編曲をするのだろうか」という、とてもバロックの時代の精神に即した作品なのに、それをどうして日本の合唱曲としてだけとらえるのかが問題なのです。バロックの、特に原曲が協奏曲であるという視点がこの曲は絶対的に必要なのではないかと思います。
つまり、合唱団とオーケストラが会話をしないといけないのですが、そういった妙味は最後のペチカだけで、あとはみじんも感じることができなかったのが残念です。
次がメインとなるモーツァルトの「戴冠ミサ」です。この曲のむずかしさは私自身歌っているのでよく承知はしているのですが、ここでもやはりコントラストの問題が散見されました。戴冠ミサではpとfのコントラストだけではなく、今度はリフレインのコントラストの問題も散見されました。これでは児童合唱と何ら変わらなくなってしまいます。特にモーツァルトの場合、リフレインをつける場所は必ず音を低くしており、それが「ここでは音を小さくしてくださいね」という合図になっているわけなのですが、それが全くできていませんでした。特に今回、つかっている楽譜が新ベーレンライター原典版であっただけに・・・・・
アンサンブルが秀逸で安心して聴いていられるだけに、こういった点こそ重要で課題であるはずなのですが、それが全く意識されていなかったことが本当に残念です。
できないということではないと思います。実際、信長氏の作品の第4楽章ではやれていますし、さらにアンコールのモーツァルトのヴェスペレの「ラウダーテ・ドミヌム」でもやれています。さらにアンコールの最後の素晴らしい「故郷」のあの力が抜けた素晴らしいアンサンブルができるのですから、意識さえすれば決してできないことではないと思っています。要は「どのようにして実現するか」であって、この団体に関しては実力があるので「できない」ことはないと思います。
今回私はブラヴィをかけたのは「ふるさと」でようやくでした。それは裏を返せば、この団体の実力はこんなものではないはずだと思っているからでもあります。
次の「ロ短調ミサ」で、できればブラヴィ!をかけさせてほしいなと思います。バロックなので大変だとは思いますが、この団体であればやれるのでは?と思っています。
聴きに行ったコンサート
設立25周年記念・混声合唱団「樹林」第18回定期演奏会
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ミサ曲イ長調BWV234
信長貴富編曲
ヴィヴァルディが見た日本の四季
春:花
夏:城ケ島の雨
秋:村祭り
冬:ペチカ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ミサ曲ハ長調K.317「戴冠ミサ」
佐竹由美(ソプラノ)
押見朋子(アルト)
経種廉彦(テノール)
田代和久(バリトン)
東京・バッハ・カンタータ・アンサンブル
辻秀幸指揮
混声合唱団「樹林」
2011年8月14日、神奈川、県立音楽堂
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