かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:所沢混声合唱団第15回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は平成31年3月10日に聴きに行きました、所沢混声合唱団の第15回定期演奏会を取り上げます。

所沢・・・・・埼玉県のちょうど端、お隣は東京都東村山市という地理的な位置にある市です。西武沿線の人たちに取りましては特段珍しくもなんともない、典型的な東京郊外のベッドタウンだと言えるでしょう。

そんな町の混声合唱団の定期演奏会になぜ行ったのか。それは、プログラムが私好みだったことと、その団体のピアニストがかつて私が入団していた川崎の混声合唱団のピアニストだったからです。そもそも、そのピアニストの方からご招待を受けました。

プログラムは、以下のとおりです。

�@バッハ カンタータ第106番「神のときは最上のとき」BWV106
�A林光編曲 日本叙情曲歌曲集」より
�Bハイドン 弦楽四重奏曲第67番「ひばり」Hob.3-67 第1楽章
�Cモーツァルト ミサ曲ハ長調「戴冠ミサ」K.317

随分詰め込んだねえと思う方もいらっしゃると思います。まあ、アマチュア合唱団はそんなものなんですが、注目はバッハとモーツァルトがそこにある、ということなんです。この2つをプログラムに入れる合唱団って、実はそれほど多いわけではありません。特にバッハはやはり発声に難しい部分があるからなんですが・・・・・

それと、普段日本の合唱曲を歌なれてしまうと、バッハのフーガなどの構造を歌い切るのも難しいという問題もあります。日本の合唱曲の旋律は本当に美しいですし、和声も多分に20世紀音楽の影響も受けているものが多いのですが、構造的にはそれほど複雑ではないものが多いんです。そんな合唱団がバッハのような構造的に複雑なものを歌うとなると、その構造をどうにかしようとした時点でギヴ・アップになることがほとんどなんです(実際、私が入っていた合唱団ですらギヴ・アップしました)。

そんなバッハをです、なんと定演に持ってきているって思うだけで、こいつは応援したくなります。よほど自信があるんだな、と。

そして、実はこのバッハとモーツァルトの2つの作品は、私が宗教曲に興味を持った初期の作品なんです。特にモーツァルトの戴冠ミサは、私がかつて入っていた宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」の第2回定期演奏会のメインでした。実はその時が私にとっての初宗教曲。歌うもそうですが、レファレンスのためにCDを買ったのも初めて、だったのです。

そうやって生み出されたエントリが、以下のものです。

モーツァルト ミサ曲ハ長調K.317「戴冠式ミサ」
https://yaplog.jp/yk6974/archive/184

この演奏会では、上記エントリで私が述べた、シュライヤーの演奏の素晴らしさと創意工夫を、思い知らされる結果となりました・・・・・

まずは所沢混声合唱団のご紹介。そんな東京郊外のベッドタウンにあるこの合唱団は、創立して30年程度経つ合唱団ですが、演奏会経験が浅い合唱団だと言えるでしょう。ただ、その歴史から合唱が好きな人達が集まっていると感じました。

https://tokorozawa-konsei-gasshodan.jimdo.com/

その歴史故か、会場につきますと1階席はほぼ満席というお言葉が・・・・・ただ、2階席を開放してくれていたのは良かったなと思います。会場は昨年何度か行きました、小平市ルネこだいら。そう、埼玉の合唱団なのに東京で、なんですね。これもおなじ西武沿線であるが故です。私も「飛翔」の第2回定期演奏会の時は川崎市宮前区の団体ですが演奏会は横浜市青葉区民センターフィリアホールでやりましたから、おなじ私鉄沿線だとそんなものなのです(特に私が当時は青葉区民だったということも有利に働きました)。

で、会場に今回もギリで着いたので(というより、今回は最初から聴けたのは本当に良かったです!)、プログラムもろくに見ないで席に付き、多分日本の合唱曲から始まってその後バッハだよねえと思っていたら、です。あれ、オルガンがあるぞ、オケの席は数席しかない・・・・・え、まさか、バッハから?

そのまさか、だったんです。なんと!アマチュア合唱団が、バッハのカンタータから開始したんです!いやあ、度肝抜かれました。バッハのカンタータ第106番は編成がとても小さく、以下のウィキにある通り、楽器は3つしか使いません。葬儀のために使われたとの推測がされていて、もしかすると合唱団としては東日本大震災追悼の意味があってプログタムに入れたのかなって思います。

神の時こそいと良き時
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%99%82%E3%81%93%E3%81%9D%E3%81%84%E3%81%A8%E8%89%AF%E3%81%8D%E6%99%82

いずれにしても、編成がとても小さく、オケというよりは室内アンサンブルという方がしっくり来る編成は実にアマチュア合唱団が好むものだと思います。通常はどこも台所事情は苦しいので・・・・・と思いきや、この合唱団、なんと!古楽演奏者を使っているじゃありませんか!いやあ、それもまたびっくりです。普通なら、モダンの演奏者に声かけると思うんですよね。それをです、古楽の演奏者たちにって・・・・・

この作品、リコーダー、つまりバロック・フルートを使っていることが、おそらくモダンでの演奏だと難点になるためだと思います。現代ではリコーダー協奏曲はすべてバロック時代ではフラウト・トラヴェルソだったフルートで演奏されますので。それをリコーダーにこだわったのかもしれません。そうなると、やはり古楽ということになります。けれどもそれはまた値の張る話です・・・・・どんな人脈からだったのか、とても興味ありますが、とにかくその人選は素晴らしかったと思います。そしてオルガニストはなんと!これはモダンの私もよく知っているピアニスト、だったんです。しかしその組み合わせでなんの問題もなく演奏が進むどころか、アンサンブルはもう体もよく動くくらいノリノリ!それが生み出す生命力!

その意味では、合唱団が少し役不足だったんです。いや、本当に素晴らしいアンサンブルでしたし、美しい!下手な点がほとんど散見されない、実にレベルの高い合唱団だと感じました。ただ、楽器がそれだけ生命力あふれる、リズム重視の演奏をしているのであれば、もう少し合唱団もリズムに乗れるとなあと思いました。それでも最後のコラールは生命力ある素晴らしい演奏でした。

2プロは一転して、日本の合唱曲、ではなく、実は歌曲、なんです。最後に曲目を上げておきますが、どれも読者の皆さんは合唱曲だと思いこんできてはいませんか?実は全て原曲は歌曲なんです。特に「浜辺の歌」や「まちぼうけ」「この道」は合唱でも歌われることが多く、学校の教科書でもそのように出ていることが多いのですが、それは実は作曲家林光の編曲なんです。

この「日本叙情歌曲集」では、歌いなれているだけあって、本当に素晴らしい、美しいアンサンブルだったと思います。ただ、なれているからこそ、既成観念にとらわれていないかなあと思いました。特に「まちぼうけ」は本来リズミカルな歌曲で、そのリズミカルな部分でコミカルさを演出している作品ですが、もう少しノッていても良かったと思います。

休憩の後の3プロ。ここでなぜ、弦楽四重奏曲が、しかも第1楽章だけというのが唐突に出てくるんだって思いますよね?そのままメインに突入すればいいものを、と。私も一見そう思いましたが。戴冠ミサを聴き始めた途端、わかったんです。あー、宗教曲にはヴィオラの出番ないもんね、と。どこまで優しい団体なんでしょうか。しっかりオケのヴィオラに出番を作ってあげているんです。

日本の聴衆は知らない人が多いのですが、実は宗教曲は基本ヴィオラが編成にはありません。それは今回メインの戴冠ミサもそうです。

戴冠ミサ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B4%E5%86%A0%E3%83%9F%E3%82%B5

そういう意味では、おなじモーツァルトでも、レクイエムはかなり革命的な作品だと言えます。なぜなら、弦5部だからです。それはヴィオラが入ることを意味します。本来これこそ、クルレンツィス以上に革命的なものでした。そんなモーツァルトザルツブルク時代のミサではあまりヴィオラを使っていないどころか、最も有名な戴冠ミサに至っては全く使用していないということなのです。これは当時、宗教曲ではヴィオラを使わなかった事によるものです。

戴冠ミサはモダン・オケで、芸大出身者たちが集まって活動しているオケであるやたたフィルがオケを担当しました。で、ヴィオラが編成上ないとなると、ヴィオラだけ浮いてしまいます。その上、実は戴冠ミサは25分ほどで終わってしまう「ミサ・ソレムニス」です。その理由は以前このブログでも述べたコロレド神父の存在ですが、それほど短いと、後半を維持できなくなります。そこで、ハイドン弦楽四重奏曲を持ってくるなんざあ、多分指揮者の方のセンスだと思うんですが、絶妙です。これなら、ヴィオラの出番ができますからね。

そのハイドン。さすがプロですね〜。美しくかつ、体がよく動いていること!それが生み出す生命力と場の多幸感。サロンの音楽だった弦楽四重奏曲の特徴がよく分かる素晴らしい演奏だったと思います。日本のオケでもこのような演奏が、若い世代にいることを、日本の聴衆はもっと知ったほうがいいと思います。

そして、メインである戴冠ミサ。指揮者の解釈は本当に素晴らしい!シュライヤーばりの速いテンポと、生命力あるオケ。しかし、合唱団が「うまいだけ」にとどまってしまったのがなんとも残念だと思います。いや、実はソプラノはぶら下がってましてと、合唱団の方はおっしゃるかもしれませんが、そんなことはアマチュア合唱団にはよくあることですし、平均年齢的に苦しかったんだなとこちらも思っているのでそれほど問題ではありませんし、それは次回以降プログラムで工夫すればなんとかなります。そうではないんです。

シュライヤーの解釈が優れていると、この演奏を聴いて本当に思いました。8分音符を跳ねさせて強調するだけで、なんとこの作品に生命力と人間味が備わることか!旧東独だからこその視点だったと思います。本来、モーツァルトの宗教曲には、それだけの人間味が溢れていることを、シュライヤーは証明してみせたのです。そんな演奏が、テンポが速いことで実現可能だったはずなんです。けれども合唱団はひたすら美しくしか歌っていないことが、残念だったのです。それがオケとうまくアウフヘーベンすればまた良かったんですが、残念ながらアウフヘーベンすることもなかったんです・・・・・

戴冠ミサとは、如何に難しい作品か、そしてなぜ宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」の音楽監督だった守谷弘氏がモーツァルトのミサ曲を演奏することにこだわったのかが、今回の演奏でよくわかった気がします。実はバッハ以上に難しい作曲家だと言うことを・・・・・

よく私自身、歌いきったなと、今となっては思います。そのときも確かレガートに歌うことになってしまい、おそらくそれほど上手な演奏とはいい難いものだったと思います。今回の所沢混声合唱団さんの場合は合唱は遥かにうまいのに、やはりレガートなんですよね・・・・・これ、ピノックがイングリッシュ・コンサートと演奏したはまった呪縛と同じだと思います。宗教曲だから美しくレガートに・・・・・では、バッハのカンタータ第106番はそれほどレガートだったでしょうかと、考えて欲しいのです。

ほんのちょっとの工夫で、もっと素晴らしい演奏になると思います。それだけのポテンシャルを持つ、素晴らしい合唱団だと思います。いや、レガートに歌うことはとても重要だと思います。それは2プロでは本当にぴったりで、私は「この道」と「ゴンドラの唄」では、亡き母が好きな作品でよく歌っていただけにそれを思い出し、泣いてしまったほどです。けれども合唱曲の表現はレガートだけではないと思うんです。バッハではできていたことが、モーツァルトだとできないってことは、なにか余計な先入観が支配しているとしか考えられないんです。

そういった余計な先入観を一旦取り払えるような工夫があると、この合唱団はもっと素晴らしい演奏ができるはずなんだけどなあと、その点がとても残念でした。次回がヘンデルメサイアだけに、その点がどれだけ改善されているのか、次回聴きに行くのが楽しみな合唱団だと思いました。




聴いてきたコンサート
所沢混声合唱団第15回定期演奏会
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第106番「神のときは最上のとき」BWV106
林光編曲
混声合唱のための日本叙情歌曲集
 箱根八里(滝廉太郎作曲)
 浜辺の歌(成田為三作曲)
 中国地方の子守唄(山田耕筰作曲)
 かやの木山の(山田耕筰作曲)
 待ちぼうけ(山田耕筰作曲)
 この道(山田耕筰作曲)
 コンドラの唄(中山晋平作曲)
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
弦楽四重奏曲第67番「ひばり」Hob.3-67 第1楽章
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ミサ曲ハ長調「戴冠ミサ」K.317
中山美紀(ソプラノ)
布施奈緒子(アルト)
中嶋克彦(テノール
青木海斗(バス)
佐藤季里(ピアノ、オルガン)
山神健志指揮
バロックアンサンブル106
 濱田芳通、細岡ゆき(リコーダー)
 品川聖、折原麻美(ヴィオラ・ダ・ガンバ
 山根風仁(チェロ)
 布施砂丘彦(コントラバス
やたたフィルハーモニー管弦楽団

平成31(2019)年3月10日、東京小平、ルネこだいら大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村