かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ペルト ミゼレーレ他

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はアルヴォ・ペルトの宗教曲を収録した作品をご紹介します。

ペルトの作品は以前、ヨハネ受難曲をご紹介しています。そのときに簡単にはどんな作曲家なのかは触れていますが、もう一度述べれば、旧ソ連を構成していたバルト三国エストニア出身の作曲家で、ルネサンスなどに範を取った「ティンティナブリ」が様式のコアです。

今月のお買いもの:ペルト ヨハネ受難曲
https://yaplog.jp/yk6974/archive/1249

アルヴォ・ペルト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%88

上記エントリから4年ほど経ち、ようやくネットでもいろいろ拾えるようになってきたのはいいことだと思います。この作曲家が「癒し系」という一言でくくられるのは、ヨハネを聴いた私としては違和感を感じるからです。

けれども、このアルバムには確かに癒し系と言ってもいい音楽が収録されています。しかしそれも本当に「癒やし」なんだろうかって思います。もちろん、癒やしの面がないと言ってしまえば嘘になるとは思いますが・・・・・

そもそも、ペルトが確立した「ティンティナブリ」は、自身の芸術表現への道具として、です。他者を癒やしたいとかという、ある意味狭い量見で考え出したものではなく、彼が音楽を創作する上で苦労してたどり着いた様式なのですから。

そんな様式が、単に癒やしという側面だけを持っているわけがありません。ショスタコーヴィチ同様怒りも持っていますし、哀愁だってあるはずです。このアルバムの第1曲である「ミゼレーレ」も、多分に怒りの部分も持っています。

他2曲のほうが表面的には癒やし系だと言ってもいいとは思います。それでも、最後の「サラは90歳だった」は、聖書のサラの受胎告知をテーマにした作品。まるでイコンが動いているかのような錯覚すら受けます。本来90歳の女性が身ごもるはずがないのに、身ごもり、息子を産む。その息子がイサクです。

そんな物語を、典型的なティンティナブリで、そのとき(受胎とイサクを産む)を、まるでカウントダウンのように表現し、また賛美もしています。何度も聴きますととてもドラマティックです。人々がペルトの音楽を支持しているのは、単に調性が復活したからという一点だけではなく、そこに普遍性があるからこそ、だと思います。その意味では、下記ブログとは私は認識を異にしています。

11 composers of contemporary music
安芸光男
アルヴォ・ペルト
Arvo Pärt
http://musicircus.on.coocan.jp/aki/ccm/007.htm

ペルトの音楽には、後期ロマン派を聞き慣れた私達が考えるようなドラマティックさはたしかにありません。しかし、しっかりとドラマティックな部分を持っています。私達の魂に迫るだけの内容も持っています。その上で、音楽は私達が受け入れ可能なものだった。だから、支持されているのだと思います。

それは、この3つの作品が誰に献呈されているかも、重要なファクターです。「ミゼレーレ」はヒリアード・アンサンブルとその指揮者に、「フェスティーナ・レンテ」はヒリアード・アンサンブルがレコードを出したレコード会社の創立者であるマンフレート・アイヒャーに、そして最後の「サラは90歳だった」は音楽家アンドレス・ムストーネンに、それぞれ捧げらているのです。

ペルトの音楽は実は、クラシックレーベルで広がったのではなく、むしろジャズなどクラシック以外のプレイヤー達によって演奏され、広まっていきました。特に2曲目を献呈したアイヒャーが創立したレーベルECMは、もともとコンテンポラリージャズをとりあげるレーベルです。そのECMに最初のペルトの作品が録音され、しかもその演奏者の中には、ジャズが好きな人なら垂涎のキース・ジャレットがいました。そんな人達が、ペルトの音楽に共感し、広めていったのです。そこには、単純な中にある広大な沃野を見たからこその共鳴もあったことでしょう。

ペルトもまた、そういった動きに敏感だったと言えるでしょう。しかもこの3つの作品は、エストニア独立以前のものばかりなのです。ということは、ティンティナブリの様式の中に、強いメッセージも存在すると考えるのが普通です。

エストニア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2

ペルトの音楽はその単純さの裏に広大な沃野を持っていると考えるほうが、私達は間違いないと思います。その沃野をどう受け取るのか。そして演奏者はどう伝えようとしているのか。そこが聞き所だと思いますが、演奏するヒリアード・アンサンブルを始めとするソリストたちは、実にいい仕事をしています。堅実な演奏によりティンティナブリが徹底されることで、ミゼレーレではそのドグマが、「フェスティーナ・レンテ」では深い悲しみが、「サラは90歳だった」ではその奇跡が、詳細に表現されているのです。それは味わい深いものですし、また私の魂を震わせない訳にはいかないだけの力も持っています。私自身とペルトとをつなぐ役目を、演奏者たちがしっかり果たしているのは誠にすばらしいことだとおもいます。




聴いている音源
アルヴォ・ペルト作曲
�@ミゼレーレ〜ポール・ヒリアーとヒリアード・アンサンブルに捧ぐ
�Aフェスティーナ・レンテ〜マンフレート・アイヒャーに捧ぐ
�Bサラは90歳だった〜ヘレとアンドレス・ムストーネンに捧ぐ
ポール・ヒリアー指揮
ヒリアード・アンサンブル(�@)
デニス・ラッセル・デイヴィス指揮
ボン・ベートーヴェン・ホール管弦楽団(�A)
サラ・レナード(ソプラノ、�B)
ロジャー・カーヴィー=クランプ(テノール、�B)
ジョン・ポッター(テノール、�B)
クリストファー・バウアーズ=ブロードベント(オルガン、�B)
ピエール・ファヴル(パーカッション、�B)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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