かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集5

今回の県立図書館のコーナーはモーツァルト交響曲全集の第5回目です。収録されているのは第16番から第19番までになります。すべて一応彼の真作とされています。マリナー指揮、アカデミーです。

さて、前回のCDではすべて4楽章でしたから、そのまま4楽章で行くのね〜って思ったら、大間違いですよ〜というのが、この第5枚目になるわけなのですよ、これが。第16番と第17番は3楽章になっています。ここがモーツァルト交響曲の最大の特徴だと思います。

ハイドンだったら、これが4楽章で行くんですよね〜、これが。その模様はまたいずれこのコーナーでお話ししますが、そういかないんですよ、モーツァルトは。

もちろん、その音楽は素晴らしいですし、楽章数なんて関係ないといえばそうなのですが、ただ、このことは意外や私はモーツァルトの音楽を理解するために必要なんじゃないかな〜って思っています(もちろん、楽典の他にさらに、です)。それは、なぜ彼はウィーンへ出るようになったのかということと、そしてなぜその時期から音楽が格段に優れた、私たち素人からしても素晴らしいと感じることができるものになっているのかということを理解するのに必要不可欠なのではないのかな、と思うからです。

もともと彼がピアニストで、協奏曲の作曲者としてつとに有名だったということもあるのでしょうが、しかしこの時代は協奏曲のほうが演奏会では「華」なんですよね〜。交響曲はオペラの序曲へ転用されるくらいですから、曲自体は堂々たるものになりますが、祝祭的なものという扱いなので、1プロで取り上げられる存在なんですね。メインはあくまでも協奏曲ということが多いです。そこで、彼は3楽章のものを書いたという可能性もありますが・・・・・

4楽章形式はすでにハイドンで確立されている、と言っていい時代です。なので、交響曲だったらやっぱり4楽章なんじゃないのと考えてしまいますが、こうやってモーツァルト交響曲をほぼ番号順に聴いてみますと、その認識は間違っていないか?と思うわけです。

むしろ、モーツァルトは3楽章でしかかけない存在と見られていたのではないかと、私は思うわけなのです。それは事典でもこのような表現で触れられています。

「新しい大司教を迎えて間もない1772年5月に、モーツァルトは3曲の交響曲を書いている(K.128、K.129、K.130 筆者註:第16番、第17番および第18番のこと)。いずれも作曲のきっかけは特定できていないが、新領主(筆者註:ザルツブルクは宗教都市なので、大司教が治めた街なのです)の着任にちなむ祝賀行事で用いられた可能性は大きいと思われる。またこの内K.128(筆者註:第16番)とK.129(筆者註:第17番)の2曲は、この時期の交響曲としては珍しくメヌエットを含まない3楽章形式をとっている点が共通しており、同じ機会のために作られた可能性が考えられる。」(東京書籍「モーツァルト事典」P.266、交響曲(第16番)ハ長調K.128の項)

実際、第16番はハ長調、第17番はト長調と高貴で祝祭的な調を使っていることからも、この分析は納得です。おそらく、行事の序曲として演奏されたと考えていいと思います。それは言い換えれば、いっぽうでは前座の音楽しか任されなかったということでもあり、モーツァルトの置かれた「立場」というものも見え隠れするわけなのです。

これほど素晴らしい音楽が、前座とは・・・・・そりゃあ、自我が芽生えてくれば、ザルツブルクを出たくなるだろうなと思います。実際、彼はその後ウィーンへと旅立ち、結婚して間もなく女房であるコンスタンツェを父親に紹介するために帰ってきた以外は、ザルツブルクの地を踏まなかったわけですから・・・・・

で、第18番と第19番は今度は4楽章なのですね。この二つも作曲動機がよくわかっていないものですが、4楽章ということからしますと、コロレドがかかわらない機会だった可能性もあるのでは?と思います。第18番は当時習慣であったオーボエ奏者がフルートに持ち替えるということをせず、オーボエを使わず最初からフルートを使うという独創的な曲で、それと4楽章形式という点からも彼がPDCAを回しているなと感じる作品ですし、音楽的にもピアノ協奏曲で何度か使われているのと似た旋律を使っているのも特徴です。第19番は第2楽章の異稿が残されいる点で注目されるもので、それがなぜ残っているかは定かではありません。目的があったのかもしれませんし、あるいは検討中で残された、PDCAを回している最中の作品という可能性もあります(モーツァルトベートーヴェンと同じようにかなり検討しながら作曲しています。方法がベートーヴェンと違うだけです)。

そんなことに注目しながら聴きますと、おやおや意外にもこの明るい、一見しますと祝祭感ある曲から、モーツァルトの苦悩が、私には伝わってくるのです。「僕はハイドンのような、しっかりとした4楽章形式の交響曲が書きたいんだ!でも、今はかかせてもらえないんだよね・・・・・」という・・・・・



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第16番ハ長調K.128
交響曲第17番ト長調K.129
交響曲第18番ヘ長調K.130
交響曲第19番変ホ長調K.132
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖マーティン=イン=ザ=フィールズ教会アカデミー(アカデミー室内管弦楽団) このブログは「日本ブログ村」に参加しています。

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