かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ソリストがいないロ短調ミサ

今回のマイ・コレは、バッハのロ短調ミサを取り上げます。

このCDに関しましては、以前このブログを公開している某SNSでは書いているのですが、今回はそれを再掲しつつ、追加で様々語っていきたいと思います。

ですので、某SNSの方には重複になってしまう部分があるかと思いますが、ご容赦ください。

と言っても、書いたのはもう5年ほど前なんですが・・・・・そのSNSに参加した当初に書いた日記です。


ロ短調ミサ。この曲はバッハの作品の中では異端中の異端です。え、曲に何かあるのかって?いや、特にそんなことはありません。特にふざけているわけでもありませんし。ロ短調ミサが異端なのは、「ミサ曲」だということです。

何でって?確かに、そう思われても不思議ではありません。彼はライプツィヒ・トーマス教会の音楽監督ですから、作る曲のほとんどが宗教曲です。宗教曲のどこが異端なのかとなりますよね。
 
でも、ドイツというのはキリスト教ですが、プロテスタントです。ミサ曲はキリスト教でもカトリックで歌われるものなのです。イギリスですら、ミサ曲を歌うことは原則ありません。イギリスは英国国教会という、プロテスタントの流れを汲む宗派です。仏教でもいろんな宗派に分かれているのと一緒です。ただ、違うのは、「聖書」は一緒だけれど歌う歌は違うということなのです。これは、仏教では根本経典として「般若心経」が唱えられているのとは違います。
 
トーマス教会でのバッハの仕事は教会で歌われる曲を作ることでした。つまりは、基本的には「カンタータ」を作ることです。プロテスタントの教会では、ミサ曲は歌われず、カンタータが歌われます。ま、カンタータというのは「歌」という意味なんですが。ですので、カンタータにはいろんな形式があります。オケつきという原則はありますが、それに独唱だけだったり、序曲が付いたり、合唱だけだったり、合唱や独唱が付いたり。ミサ曲が一定の形式があるのとはずいぶん違います。だからこそ、楽しみもたくさんあります。こういう比較が出来ることは、日本人だからだと思います。
 
とにかく、「歌」なのです。でも、その多くのカンタータより「ロ短調ミサ」のほうが大曲ですし、われわれ日本人には有名です。全曲で2時間近くかかります。本当に好きでなければ、寝てしまうかもしれません。私ですら、初めて聴いたときには寝てしまいました・・・・・
 
しかしながら、聞き込んでいくとだんだんその世界が浮き上がってきて、やがて寝るどころか目がランランと輝いてきます(ここが私の悪いところでもあるんですが)。聴き所は何箇所かありますが、前半では、「グローリア」です。出だしの明るい部分はノリノリです。「キリエ」がそれこそロ短調でゆっくりと始まるのとは対照的です。最後の「Cum sancto Spiritu(精霊とともに)」は早いパッセージでなおかつ明るく、主の栄光が世の隅々までに差し込んでいくような感じがしてきます。

後半はいきなり「クレド」にあります。信仰告白という意味で、ミサ曲の核心部分です。キリスト教のエッセンスが凝縮されている部分だといえます。このミサ曲では「二ケア信経」という名が付いていますが、ミサ通常文とほぼ同じです。このあたりはバッハが教会に黙ってこの曲を作っていた何か作用を感じます。まず出だし、そして、復活の場面、そしてその復活を賛美する最終場面と、この部分の明るさはこの曲の中でも群を抜いています。暗い部分との美しいコントラスト!阿部慎之介風に「最高です!」
 
そして、「サンクトゥス」。この始まりも光に満ち溢れています。単に明るいでありません。この曲全体にいえることですが、美しいのです。美しいフーガとカノン。他の曲に全く引けをとりません。特に「いと高きところにオザンナ!」という部分は美しくて涙が出てきます。
 
バッハがこの曲を作った理由は今もってわかっていません。しかし、これだけは確かでしょう。
 
「宗教とは人を救うもの。それを賛美する曲に制限や国境など無いのだ。」
 
バッハが言いたいことは、そういうことではないでしょうか。


と、ほぼ5年前こういった文章を書いたわけなのですが、さて、もう一度触れますが、バッハはカンタータを書いているということからルター派プロテスタントです。そのバッハが、カトリックの曲であるミサ曲を書いたというのが、この曲をして私が「異端」と述べた理由なのです。

ミサ曲 ロ短調
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E6%9B%B2_%E3%83%AD%E7%9F%AD%E8%AA%BF

また成立も1749年ですが、早くは1724年と言いますから、なんとトーマス・カントルに就任した翌年から作曲が始まったということになります。その理由を、ウィキが簡潔に語ってくれています。

「当時のルター派の教会では、頻繁にラテン語のミサを行っており、マルティン・ルター自身が、ルーテル教会版の「キリエ」、「グロリア・イン・エクセルシス」、「ニカイア信条」、「サンクトゥス」の使用を認めていた。また、バッハは典礼で使用するための小ミサ曲を4曲作曲している。[1]そして、ロ短調ミサ曲の「サンクトゥス」では、小さいながらも重要な改変を典礼文に行っている。すなわち、カトリック教会の典礼文では「天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria tua) とするところを、ルーテル教会版の「天と地は彼の光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria ejus) としているのである。」

このことから言って、この曲は異端であるが、奇異ではないという結論に今は達しています。つまり、ルター派ではカンタータが「主に」演奏され、そしてごくたまにですが、ミサ曲がプロテスタント風に改変されて演奏されていた、ということです。

それにしても、演奏目的がない曲でもあります。バッハはこのほかにも多くのミサ曲の断片を残していますが、多くがカンタータからの転用で、典礼に使われたものもあります。しかし、このロ短調ミサに関しては、全曲演奏は生前に適わなかったという曲です。

ただ、単一では典礼で使われた可能性は否定できません。このロ短調ミサもご多分に漏れずカンタータからの転用が多く、曲自体は典礼で一度は使われているものがほとんどだからです。それを今度はミサ曲として演奏された可能性も、ルター派であるからこそ否定できないからです。それは東京書籍「バッハ事典」でも「通作ミサ曲を典礼で用いる習慣は、ルター派には存在しない」(P.225)とあり、ミサ曲の一部を演奏する習慣に触れています。このことから、ロ短調ミサも一部は生前に演奏された可能性は否定できません。さらに、バッハの死後息子のカール・フィリップクレドである「ニケア信条」のみを演奏した記録があることから、逸れ以前にたとえばキリエ岳などが演奏された可能性は否定できません。記録がないので演奏されたと断定はできませんが、可能性は十分あると考えていいでしょう。

わかっていることは、このミサ曲全曲がバッハの生前に演奏されたことはなく、恐らく演奏する習慣がライプツィヒではなかったことから、演奏する気もなかったと考えていいでしょう。では、なぜバッハはウィキにもあるように全曲を演奏する形でまとめたのかが問題になるわけですが、いろんな学者の意見を総合しますと、やはりこの曲は宗派の違いを超える曲をバッハが考えていたということなのではないかと思います。

それと、当時のドイツでは、音楽先進地域はイタリアであるという意識も働いていたのではないかと思います。だからこそ、「きちんとしたミサ曲」としてまとめたと考えると、バッハがなぜこの曲だけは仕上げたのかが分かるように思います。

さて、この曲はそもそもがカンタータからの転用が多いこと、そして当時の習慣からするとカンタータを演奏する編成に近いやり方で演奏された可能性が高いことから、もし全曲が当時演奏されたなら、ソリストはいなかったはずだという信念に基づいて、ソリストが存在しません。もちろん、ロ短調ミサにはソリストパートがありますからソリストが要るわけですが、この演奏ではソリストはいません。合唱団員がその役割を担っているのです。これは聖歌隊のやり方でもありますので、理に適っています。

では相当演奏はひどいんでしょうねというと、その真逆です。ソリストがいるよりも私は断然この演奏が好きです。合唱団と器楽、そしてソリストのバランスが絶妙であり、この曲が本来持つ美しさというものをくっきりと浮き上がらせています。ソリストが別にいる演奏は、私はついそのソリストばかりに注目してしまうきらいがあるように思います。それは別に悪いことではありません。古典派以後はそういったヴィルトォーソを聴くということがもてはやされた時代ですし、それに適った曲が書かれているからです。しかしバロックはそういった時代ではないのです。その点からすれば、この演奏はとてもバロックを知り尽くした演奏ということもできるでしょう。

そう考える私なので、当然この演奏に並ぶものはBCJくらいしか浮かびません。バランスというものにこだわったこの演奏は、以後この曲がカール・フィリップを通して古典派以後の作曲家に大きな影響を与えたことを、しっかりと教えてくれています。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ミサ曲ロ短調BWV232
トーマス・ヘンゲルブロック指揮
バルタザール=ノイマン合唱団
フライブルクバロック・オーケストラ
(BMG DHM BVCD-1912/13)



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