2011年7月7日、闘病中のヴァイオリニスト、ヨゼフ・スークがなくなりました。
彼はチェコを代表する名ヴァイオリニストで、スーク・トリオを結成し、多くの名演奏を世に送り出しました。
このブログでも、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲のシリーズを取り上げています。
今月のお買い物:ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第1番・第2番
http://yaplog.jp/yk6974/archive/241
今月のお買い物:ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第3番・第4番他
http://yaplog.jp/yk6974/archive/273
今月のお買い物:ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」・第6番・変奏曲作品44
http://yaplog.jp/yk6974/archive/302
今月のお買い物:ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番「大公」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/330
実際、このシリーズは神奈川県立図書館にないとおもって購入したのですが、後でわかったのですが、「ベートーヴェン全集」のほうにしっかりと入っていました・・・・・
しかし、今ではまあいいかと思っています。その勘違いのおかげで、彼ら、特にヨゼフ・スークの素晴らしいヴァイオリンを聴くことが出来るのですから。
いま、このエントリを書きながら、上記エントリ中、330で取り上げた「大公」を聴いています。「大公」は1810年、友情で結ばれていたルドルフ大公が演奏できるようにと作曲されました。なるほど、だから私はこのエントリを上げた時にこう感じたのだと思います。
「ただただ、温かく美しい・・・・・それが、「大公」です。」
それは本来ルドルフ大公を念頭に置いて、初演時ベートーヴェンが演奏したピアノだけではありません。スークが弾いているヴァイオリンも、とても温かく美しいものです。
ベートーヴェンが友に大する姿勢というものを、とてもよく表しているように思います。ほぼ間違いなく、スークはベートーヴェンとルドルフ大公との関係を念頭に置いて演奏しているなと感じます。
そもそも、ヨゼフ・スークをその中心に据えたトリオなのですから、スークのアプローチが各パートに影響を及ぼしていて当然であるわけです。その上で、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲(基本的に室内楽全般に共通しますが)の特徴である、各楽器がそれぞれ対等の立場にあるということをわきまえた演奏になっているのです。
今聴いていますと涙を禁じ得ません。悲しい音楽ではなくむしろ明るい音楽のはずなのに、なぜこんなに涙が出るのだろう・・・・・
いや、実際にはまだ流れていませんが、涙腺は確実にうるうる来ています。
それは彼の家柄にもよるのかもしれません。
ヨゼフ・スーク (ヴァイオリニスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%AF_(%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88)
彼の祖父は同姓同名の作曲家であり、その祖父の義理の父、つまりスークからしますと曽祖父に当たる人はドヴォルザークです。そういった伝統が、彼にしみついているのでしょう。単に楽譜だけでなく、作曲の経緯もきちんと考えて演奏しているように思います。
このCDを、私は大事にしていこうと思います。音楽を演奏するということは、こういうことなのだという啓示を、与えられたように思います。一生の宝物です。
心より哀悼の意を表します。
合掌・・・・・
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