今月のお買いもの、4枚目はクルーセルのクラリネット協奏曲全集・四重奏曲全集の2枚組から、四重奏曲のほうです。
昨日、クルーセルは当時クラリネット奏者として活躍していたということをご紹介しましたが、その本領発揮ともいえる今度はクラリネット四重奏曲です。彼はこれも3曲書いています。実はこの四重奏曲のほうが時代的には下がるものが多く、実際どれも洗練されていて、気品があり、優雅です。
クラリネット協奏曲ではベートーヴェン的な部分も多分にみられましたが、このクラリネット四重奏曲ではむしろ、モーツァルト的な優雅さの方が前面に出ているという感じです。
収録順に参りましょう。まず第1番ですが、1807年に作曲され、1811年に出版されました。この曲はある意味クラリネット協奏曲の弦楽ヴァージョンかと見まごうように、まず弦楽器が先導して、クラリネットが入ります。クラリネットソロに弦楽が合わせて居るような構造を持っていまして、その意味では室内楽的ではない部分があります。でも、それが不自然じゃないんですね〜。そこがこの作曲家の素晴らしい点だと思います。
次には第3番が来ています。1821年の作曲で、ベートーヴェンは弦四がすでに後期へと入っていた時代です。3曲の中ではもっとも洗練され、単にクラリネットがヴィルトーソしているだけでなく、きちんと会話しています。そのバランス感覚と、楽章構成のバランスがとても素晴らしいです。さすがに当世の作品を研究して作曲していたなとうならせます。当時のクラリネット作品への「熱」というものが、こういった作品からは見え隠れしますね。こういったものに出会えるのはとても幸せです。
最後に第2番です。作曲は1804年とされています。出版は1817年になされています。もし1804年だとしますと、これまたベートーヴェンの中期作品の時期に当たるわけで、モーツァルトの晩年の室内楽とベートーヴェンの中期作品という、現代でも名曲が生まれたと称賛される時期のものが一気にスウェーデン宮廷へなだれ込んできたことが想像されますから、その結果生まれたと言っても差し支えないでしょう。
全くもって、ヴィオッティにせよクルーセルにせよ、この時代はハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンがいかに「すごすぎた作曲家だったのか」を目の当たりにしています。どちらも全く遜色ないのです。でも、その三人と比べると色あせてしまう・・・・・こういった広い裾野があったからこそ、その三人は活躍できたと言っても差し支えないでしょう。現代の音楽がどうあるべきなのかを深く考えさせてくれます。
特にこのクルーセルはその点を顧みさせてくれます。下手すればモーツァルト以上であるという評価すらあります。
タケさんのブログ
モーツァルトに匹敵 クルーセルのクラリネット四重奏曲
http://ameblo.jp/kyofra/entry-10216783986.html
(実はこのブログで取り上げられているのが、今回取り上げているCDなのです。協奏曲と一緒にしたうえで再販したようですね。)
確かに、クルーセルはクラリネット奏者だったわけですから、モーツァルトに匹敵、いやそれ以上という評価は当たっていると思います。モーツァルトはあくまでもバランスと取ることに傾注しているのに対し、クルーセルは時折クラリネットが先導することも有ります。でも、最終的には室内楽にしっかりとおさまっているので、不自然な点がありません。そういった構造に目を向けてみる時、いかにクルーセルの能力が高かったのかを認識させられます。
モーツァルトという「ネームバリュー」に惑わされますと、このクルーセルの素晴らしさに気が付かないことも有るかもしれません。ぜひともまずは素直に耳を傾けてほしいと思います。そうしますと、まったく新たな地平というものが、彼の音楽からは響いてくるから不思議です。
クラリネットを知り尽くした作曲家のクラリネット四重奏曲。さらなる再評価を望みます。機会があれば、協奏交響曲なども聴いてみたいジャンルの作曲家です。
聴いているCD
ベルナルト・ヘンリク・クルーセル作曲
クラリネット四重奏曲第1番変ホ長調作品2
クラリネット四重奏曲第3番ニ長調作品7
クラリネット四重奏曲第2番ハ短調作品4
ヘンク・デ・グラーフ(クラリネット)
ダニエル弦楽四重奏団員
ミーシャ・フルマン(ヴァイオリン)
イタマール・シモン(ヴィオラ)
ヨアンナ・パチューカ(チェロ)
(Brilliant Classics 94219/2)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。