かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト弦楽四重奏曲全集4

神奈川県立図書館所蔵CDモーツァルト弦楽四重奏曲全集の第4集は、いよいよ「ハイドン・セット」の開始です。第14番と第15番が収録されています。

ハイドン・セットとは、モーツァルト弦楽四重奏曲の内、ハイドンに献呈された6曲、第14番から第19番までを言います。この6曲は以前、すでに図書館で借りています。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ハイドン・セット�@
http://yaplog.jp/yk6974/archive/220

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ハイドン・セット�A
http://yaplog.jp/yk6974/archive/226

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ハイドン・セット�B
http://yaplog.jp/yk6974/archive/227

このハイドン・セットからモーツァルトの作曲のスピードは若干おそくなります。それまでの弦楽四重奏曲は旅先で書いたものであったりしたため、作曲の時期はかなり集中しましたが、このハイドン・セットはモーツァルトがウィーンに出た後の作曲であるため、腰を据えて書かれたのです。

きっかけはもちろん、ハイドンの曲に直接触れる機会ですが、もっと言ってしまえば、ウィーンに出たことが言えるでしょう。もう旅をする必要などありません。その時期に出会ったのが、ハイドンの「ロシア四重奏曲」だったのです。

この経緯を知っていたため、私はまずハイドン弦楽四重奏曲を全曲借り、その前にはベートーヴェン弦楽四重奏曲を借りていましたので、ついにモーツァルトも全曲をと思い立ったのです。すでにハーゲン四重奏団でハイドン・セットを借りていたにも関わらず、です。

そもそも、ハイドンを借りるきっかけになったのもこの「ハイドン・セット」ですし、思い切ってアルバン・ベルクQでベートーヴェン弦楽四重奏曲をすでにスメタナQで持っていたにも関わらず借りようと思ったのも、すべて「ハイドン・セット」との出会いがきっかけになっているのです。

私の図書館通いを決定づけた一つの作品でもありますし、また音楽史上においても重要な位置を占めます。最後の第19番はベートーヴェンとの関係も言われています。

そんな6つの作品群である「ハイドン・セット」の幕開けを飾る第14番と第15番を、イタリア四重奏団は軽やかかつ歌うように演奏しています。モーツァルト弦楽四重奏曲の転換点とも言うべきこの二つの作品を、実に丁寧に、そして端正に演奏してくれています。

それだけにハーゲンと比べますと力強さに欠ける部分もありますけれど、今聴きますとそれはさほど気になりません。まるで当時のサロンの明るい様子が目に浮かぶようです。

ただ、短調へ転調する部分は、もっと高貴さ、あるいは気高さを持って演奏してもよかったかもしれません。ハイドンが同じ時期にまだ少し前時代的な旋律を持った作品を発表していたのに対し、モーツァルトは少しベートーヴェンの時代のような雰囲気をすでに持っているのですから。ここでそれまでの作品とは違った雰囲気にしてもよかったように思います。

モーツァルトという作曲家は他の作曲家のいい部分を吸収するのがとても早く、その上自分のものにして個性によって全く違うものにしてしまう才能は抜群です。そういった点を、演奏によって示してもよかったなあと思います。せっかく全集なのですから。

ハーゲンのようにハイドン・セットだけであれば別に単に柔らかいアプローチでもいいかと思いますが、全集は単にモーツァルト弦楽四重奏曲を全部聴きたいという人だけではなく、モーツァルト弦楽四重奏曲とは何ぞやと、自分で追及する人のためにもあると思うからなのです。その点だけが、この全集に関しては残念だなあと思います。

いつか、山野でブリリアント、あるいはディクスユニオンで中古の全集を買ってみて、比較してみても面白いかもしれません。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387「ハイドン四重奏曲第1番」
弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421(417b)「ハイドン四重奏曲第2番」
イタリア四重奏団



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