かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト弦楽四重奏曲全集3

神奈川県立図書館モーツァルト弦楽四重奏曲全集の第3回目は、第10番から第13番(第3集)を取り上げます。

この第3集は「ヴィーン四重奏曲」の最後に当たるわけですが、なんと、この後は「ハイドン・セット」なのです。それをうかがわせるような和音の重厚さや転調の見事さからくる音楽そのものの気品など、素晴らしい点を挙げればきりがありません。

実は、この第10番から第13番までの作品が作曲されたのは、ミラーノ四重奏曲の6曲を作曲した、ほぼ1年後なのです。その成長のスピードたるや、目をみはるものがあります。多感様式かとも思えた作品から一気に時代のちょっと先を行くような、そんな差があります。

ベートーヴェンのように何年かかかってと言うのであればそれは納得ですが、わずか1年、いや1年以内です。ヴィーン四重奏曲のトップである第8番は1773年8月ですから、「ミラーノ四重奏曲」最後の作品である第7番が同年1月であることを考えれば7か月という短い期間で、時代をまるで追い越したかのようです。

幼い時期に勉強したものは吸収が早いと言いますが、まさしくそれを体現するかのような作品の変わりようです。事典がいう変化とはこのことでしょう。端的に説明したほうが、この「ヴィーン四重奏曲」に関してはわかりやすいのではないかという気がします。

この第3集に収めらている楽曲の中でモーツァルトらしいと思うのが、第10番です。1773年8月の作曲ですが、楽章構成でハイドンの先をすでに行こうとしています。ハイドンは第1楽章と第2楽章をひっくり返すということをかなりやっていますが、モーツァルトはそれならばと、第1楽章から第3楽章まですべて緩徐楽章にしてしまったのです。急楽章は最終第4楽章のロンドーだけです。

音楽はとても地味というか、渋い曲ですが、当時の人はひっくり返りそうになったでしょう。え、急楽章はどこ?と。えへへ、やったー!と喜ぶモーツァルト(あるいは父レオポルトでしょうか?)の顔が目に浮かぶようです。

このヴィーンにしても、その前のイタリアにしても、旅行の目的は単に当時の最先端の音楽を吸収するためだけではありません。其れよりも今風言えば「就活」が目的です。しかし、望む結果は得られず、結局ザルツブルクへ帰ってくることになります。しかし、モーツァルトの素養は確実に深く広くなり、それが音楽を深化させ、さらなる芸術の高みへと昇って行く推進剤となったのです。

こういった過程が、聴きながら追体験できるというのはとても幸せなことだと思います。恐らく同じようにつらい思いをしている人はいまどき多いと思います。そんな時にはベートーヴェンだけではなく、モーツァルトの音楽を聴き、彼の少年時代の旅行に想いを馳せてみますと、少しはつらい気持ちが楽になるかもしれません。

私もこの数年つらい思いをたくさんしてきていますが、今モーツァルトの音楽を集中して聴けたことはとても幸せだと思います。天才と言われ向かうところ敵なしのように思われたモーツァルトが、実は少年時代とてもつらい思いをしていることを、そしてウィーンに出てからも、自らしっかりと地に足をつけて生活をしようとしてピアノ協奏曲を作曲しながら苦労したことを。それを音楽に触れたことで知り得たことを。

演奏者がそれをどこまで知って演奏しているかはわかりませんが、恐らく知らないでということはないでしょう。長調はとてものびやかで快活。そして短調はすこし影のあるような、でも決して絶望しないような印象を持ちます。最も「ヴィーン四重奏曲」が作曲された時期はモーツァルトはそれほど苦悩もしていない時期ですが、だからと言ってノー天気な曲ばかりが並んでいるわけではありません。このヴィーン四重奏曲から音楽ががらりと変わっていることを考えますと、イタリア四重奏団の柔らかでかつきびきびとしたアプローチは、わたしには好印象です。



聴いている音源
ヴォルグガング・アマデウスモーツァルト作曲
弦楽四重奏曲第10番ハ長調K.170
弦楽四重奏曲第11番変ホ長調K.171
弦楽四重奏曲第12番変ロ長調K.172
弦楽四重奏曲第13番ニ短調K.173
イタリア四重奏団



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