かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト弦楽四重奏曲全集2

神奈川県立図書館所蔵CDモーツァルト弦楽四重奏曲全集の第2回目は、第2集を取り上げます。収録曲は第6番から第9番の4曲です。「ミラーノ四重奏曲」と「ヴィーン四重奏曲」の二つになります。

「ミラーノ四重奏曲」は1772年のイタリア旅行、「ヴィーン四重奏曲」はよく1773年の三度目のウィーン旅行で書かれたものです。いずれも、ハイドン弦楽四重奏曲というジャンルを確立しようとしていた時期の楽章構成によく似ています。

モーツァルト事典」では様相が異なるとありますが、珍しく私はそれに反論したいと思います。確かに、細かい点を観れば様相は異なるのですが(その点では、さすが学者は違います)、しかし全体を俯瞰してみると、やはり楽章数においてのみ、様相が異なってくるのです。

つまり、「ミラーノ四重奏曲」においては3楽章が基本であったものが、「ヴィーン四重奏曲」では明らかに4楽章が基本へと変わるからです。そしてその点こそ、ハイドンの強力な影響下によって変化した点です。

この第2集に収録されている第6番と第7番はミラーノ四重奏曲で3楽章、そして第8番と第9番がヴィーン四重奏曲で4楽章となっています。ただ、音楽はすでに新たな地平が見られ、特に短調におけるドラスティックな点は見逃せません。そこでは若干ながらすでにハイドンを超えていると言ってもいいかもしれません。

「ミラーノ四重奏曲」も「ヴィーン四重奏曲」もともに6曲からなる曲で、その点ですでにハイドンの影響を受けた作品と言っていいでしょう。「ヴィーン四重奏曲」ではさらにそれが楽章構成や楽章数においても影響を受けるようになったというべきでしょう。

ミラーノ四重奏曲である第6番は、第1楽章と第2楽章が明らかにひっくり返っていまして、当時の慣習、特にハイドンがおこなった点に準拠している点が見逃せません。第7番から第9番まではごく普通の弦楽四重奏曲の構成となっています(ただ、第10番以降ではまた異なりますが、それは次回に)。

第7番ではディヴェルティメントで使ったような旋律も出現し、おそらくこの時期くらいから所謂「使いまわし」をやっているとみていいでしょう。ただ、それは当時ごく普通のことであった、バロック以来の伝統という点は付記しておきます。

演奏面では、ようやく軽さが出てきたかなという印象を受けます。長調における伸びやかさと、短調における厳しさとのコントラストが、メリハリのついたとても小気味いい演奏へと繋がっています。さらにそれが演奏に温かみを生んでいるという点も素晴らしいです。

弦楽四重奏曲はサロン音楽なのですから、余りにも窮屈な演奏は如何なものかと思います。もちろん、モーツァルトの音楽には自然と気品が備わっていますし、それゆえの精神性を有していますが、ベートーヴェンのような気高さまではないわけです。それは批判されるべきものではなく、人間の感情としてごく自然なものだろうと思います。

音楽とは精神性だけを追い求めるものではなく、人間の「感情の発露」だと私は思っています。その発露の仕方によって、理知的にもなりますしドロドロとしたものにもなります。ばか騒ぎ的にもなりますし、くそまじめにもなります。それが音楽であると私は思います。それを一定の知的作業として発表されるのが芸術だとすれば、やはりこういった軽めの演奏も、私はアリだと思います。



聴いている音源
ヴォルグガング・アマデウスモーツァルト作曲
弦楽四重奏曲第6番変ロ長調K.159
弦楽四重奏曲第7番変ホ長調K.160(159b)
弦楽四重奏曲第8番ヘ長調K.168
弦楽四重奏曲第9番イ長調K.169
イタリア四重奏団



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