神奈川県立図書館モーツァルト弦楽四重奏曲全集の今回は第6集を取り上げます。ハイドン・セットの最後の2曲、第18番と第19番です。
この第6集ではかなりアインザッツが強めですが、しかしハーゲンと比べるとすこし柔らかいかなと感じます。この2曲は共に長調とはいえ、かなり陰影がある曲なので、もう少し強めのほうがアクセントになっていいように私は思います。
特に、第19番「不協和音」では、冒頭の開始が不協和音であることからつけられていますが、あまり不協和音に聴こえないのも特徴的です(むしろ、第16番のほうがよほど不協和音に相応しい演奏でした)。
このハイドン・セットに関しては、全体的にはすでに持っているハーゲンのほうが素晴らしいように思っています。ただ、それも本当に微妙なところの差なんですが。アインザッツが強いかどうかという点だけです。そしてそここそとても微妙な強さの違いです。
ベートーヴェンの弦四の、アルバン・べルクQとスメタナQとの違いほどないんです。ですので、読者の皆さんはどちらを選んでもいいと思います。ただ、イタリアQは今廃盤になっているようなので、やはり神奈川県立図書館で借りるか、ディスクユニオンで必死になって探すかしかないでしょう。ハーゲンのはまだ廃盤になっていないようです。
だからこそ、第5集で音飛びがあるのはとても残念なのですね。
勿論、単にモーツァルトの弦楽四重奏曲の全曲が聴きたいのであれば、イタリアQとハーゲンQの二つで事足りますし、実際私はそれで満足していますけれど、突き詰めてきますと、やはり同じアーティストが全体をどう考えているのかも知りたくなるものです。本当はそれが借りるということで多くの市民に公開されていることが図書館の役割なのですが、それが達成されていないことがとても残念です。
これがハイドンであれば、音飛びなどはあまり問題にならないのですけれどね・・・・・・モーツァルトだけに、なんです。
モーツァルトがハイドン・セットを作曲した時期というのは、モーツァルトの音楽自体がいろんな刺激を受け変化していく時期に当たり、特にその精神的な深さというものが変化していく時期です。それをどのように演奏家が考え、表現しているのかがとても楽しみなのです。
この音源でいえば、コントラストになっている短調部分にこそ精神性を感じます。ノー天気なだけではなく、思索の世界に入っているような、そんな感じすら受けるのですが、そこをイタリアQはもう少し表現してほしかったなと思います。サロン的な雰囲気だけを前面に押し出しているような気がします。
それはそれで一つの解釈ですし、モーツァルトであれば決して間違っていはいません。ただ、それだけじゃないとも思うわけです。ウィーンに出て以降のモーツァルトの短調作品を見てみれば、その精神性の濃さ、深さは決してベートーヴェンにも勝るとも劣らないものであるわけですが、そこをもう少し突っ込んでほしかったのです。
アルバン・ベルクQのベートーヴェンの弦四全集(旧盤)はとてもアクセントが強い、精神性が強い演奏で素晴らしいのですが、これも逆のことが言えます。ベートーヴェンはくそまじめなだけなのですか?と。だからこそ、スメタナQの演奏が光るわけです。
その意味では、なぜこの全集があるのにあえてハーゲンのもあるのかということが、わかる演奏であるような気がします。
聴いている音源
ヴォルグガング・アマデウス・モーツァルト作曲
弦楽四重奏曲第18番イ長調K.464「ハイドン四重奏曲第5番」
弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」「ハイドン四重奏曲第6番」
イタリア四重奏団
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