かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:BCJ バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ1

今回のマイ・コレは、BCJのバッハ カンタータ全曲演奏シリーズの第1集です。そう、「今月のお買いもの」で取り上げている毎度おなじみの、その一枚目なのです。

この「マイ・コレクション」のコーナーでご紹介しているのは「以前買ってありすでに私のライブラリになっているもの」であり、「今月のお買いもの」でご紹介しているものは「新たに購入してライブラリに加わったもの」という区別をしていまして、そのため全く同じシリーズが違うコーナーで紹介するということになっています。

いずれ、検索しやすくしまして連続で読めるようにしたいなと思っています。

さて、これを買ったのは当然、マタイとヨハネ、そしてBCJのコンサートへ行ったことが大きかったのです。そして、この一枚は私の音楽へのアプローチをいろんな意味で変えた一枚でもあります。

まず、このCDは輸入盤です。当時、キングレコードから国内盤も出ていましたが、それがもう古くて売り切れていまして、輸入盤しかなかったのですね。ところが、私としては解説が付いた国内盤がほしかったのです。

しかし、この後国内盤が買えたのはほとんどないのです。ではどうするか?解説書を買いましょうと言うことだったわけです。それで購入したのが東京書籍の「バッハ事典」だった、というわけなのです。同時に買ったのがモーツァルト事典で、それもきっかけは輸入盤が増えてきたことでした。

こうして、今の輸入盤中心のスタンスが始まっていったのです。その決定的なきっかけを与えてくれた、私にとって記念すべき一枚です。

記念すべき一枚であるのはBCJにとっても同じです。これは彼らが出す2枚目のアルバム(ちなみに、一枚目は昨日ご紹介した「ヨハネ」)で、しかもバッハのカンタータを全曲演奏するという、リヒターなどの記録に日本の団体が挑戦しようというプロジェクトの、第1歩だったからです。

この第1集はバッハのミュールハウゼン時代のカンタータを取り上げています。バッハの一番初期の作品、1706年から08年にかけて作曲された作品が並んでいます。

ここで、バッハの経歴をおさらいしておきましょう。こういった時はやはりウィキでしょうか。

生涯
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F#.E7.94.9F.E6.B6.AF

バッハの時代区分では大きく、ミュールハウゼン時代、ヴァイマル時代、ケーテン時代、ライプツィヒ時代と順に4つに分けられます(ヴァイマルミュールハウゼンは彼の就職先によって前後することもあります)。つまり、ミュールハウゼン時代は彼が音楽家としての第一歩を踏み出した時代なのです。

第1曲目は第4番「キリストは死の縄目につながれたり」です。題名からしてかなりストイックな感じを受けますが、その通りにストイックな曲です。キリストの磔刑と復活の喜びを取り上げた内容なのですから。1708年かそれ以前にミュールハウゼンないしはアルンシュタットで成立したと考えられています。最初に来ているからと言ってこの曲が一番最初の作品ではありません。この曲は2曲目くらいになります(残っている史料からは2曲目と想定されています)。

コラール変奏という形をとる作品で、事典によりますと「あまり例を見ない」と記述されています。端的に言えば、コラールによる変奏曲と言っていいでしょう。それぞれの楽章ごとがコラールで始められ、それを変奏していくという構成です。確かにこんなものはこれ以降もあまりないですね。

この曲がキリストの磔刑と復活を取り上げているという内容から、この曲をなぜ先頭に持ってきたのか、何となくわかりますね。鈴木氏の気合いが感じられる編集です。考えてみれば、このCDは日本の団体のアルバムであるのに、輸入盤であるという点を見過ごしてはならないと思います。世界を相手に活動するんだという彼らの気概が、この一曲からも感じられます。特にヴォリューム・ゾーンであるヨーロッパを意識した編集であることは間違いありません。

第2曲目は第150番「主よ、われ汝をあおぎ望む」は1708年以前、恐らく1706年に成立したのではないかと考えられていまして、それが本当であればバッハ最初のカンタータということになります。つまり、第1番が最初なのではなく第150番が最初のカンタータであるということです。ですので、バッハのカンタータこそ番号順が変遷だと考えてはいけません。変遷を知りたければ、事典などでまず順番を調べてからのほうがいいと思います。その点で、BCJはとてもいいスタンスで全集を収録しています。こういったことをハイドン交響曲モーツァルト交響曲、ピアノ協奏曲でもやってほしいのです。

この第150番はいろんな見方がある曲でして、最後の第7曲でパッヘルベルシャコンヌと一致する主題があることからパッヘルベルへのオマージュであるという説もあります。内容は「詩篇第25編を基本としつつ、現世の艱難(かんなん、筆者註)のなかでひたすら神を信頼し、救いを待ち望むキリスト者の心を語ったもの」(「バッハ事典P.150)」)であり、冒頭シンフォニアはその艱難を表わすかのようにロ短調で始まります。最後はコラールで終わりますが、偶数曲に詩篇から、奇数曲には自由詩をいれてコントラストを形作っています。それゆえか、ただでさえ短いこの曲はあっという間に終わってしまう感覚になります。

第3曲目は第196番「主はわれらをみ心に留めたまえり」です。1708年6月5日にミュールハウゼンで初演されたと考えられています。初期の特にミュールハウゼン時代はこういった詳しくわからない曲が結構あります。この曲もそういったものの一つですが、それでもまだ疑念が残りつつ年月日までが分かってきています。結婚式用のカンタータだったようですが、神への信仰を取り上げていることから教会カンタータに入っている曲です。

実はバッハのカンタータには教会カンタータ世俗カンタータの2種類ありまして、結婚式で使われるもので有名な「結婚カンタータ」は世俗カンタータになります。しかしそれ以外にも教会カンタータに入るものにも婚礼用がいくつかありまして、この曲もそのうちの一つになります。こういった教会の儀式以外の教会カンタータは初期と後期に集中しています。

婚礼用であるせいかハ長調シンフォニアで始まるのも特徴的です。徹頭徹尾明るい曲で、しかも冒頭のシンフォニアはまるで新郎新婦が歩いてくるような雰囲気をもちます。

ところで、皆様お気づきでしょうか、二つのカンタータシンフォニアで始まっていることに。いや、実はこの3曲すべてシンフォニアで始まっているのです。そう、シンフォニアとはまずこういった儀式などの冒頭で演奏されるものだったのです。それが100年たったときに、ベートーヴェンによって4楽章の精神性の高い一つの独立した芸術作品へと昇華されるのです。

ベートーヴェンもバッハの音楽に深い尊敬の念を持っていたことを考えますと、この3曲の持つ重要性もまた、高いものであると私は思います。

演奏は、とても気合いの入ったものでして、若干ソリストに肩に力が入っているのが見受けられますが、しかしそれが素晴らしいのです。肩に力が入ってしまいますと発声が不安定になりますがそんなことがいっさいありません。しっかりと伸びやかな発声が行われていて、実力が伴っていることに驚かされます。逆に合唱団のほうが第4番では緊張気味でしょうか。高音部で裏返りそうになっています。ここは高音部で恐らくpであると思いますが、それは難しいんですよね〜。しかしそれを歌いきるBCJはさすがです。

その点も、私がこれ以降のめりこんでいくきっかけになりましたし、この一枚を聴いて「全部集めてやるぞ!」とファン宣言をするきっかけにもなったのです。ファンとというものは、そういうものですから。

ソリストはバス以外は昨日取り上げた「ヨハネ」にも登場している方たちで、BCJの初期のアルバムを支えた実力者たちです。特にバスのペーター・コーイは今でもソリストに名を連ねる常連で、今やBCJにはなくてはならない存在になっています。

日本の団体にあこがれて多くの海外ソリストが参集する・・・・・だれがこのような状況を想像したでしょうか。それもこのBCJのアルバムを聴く楽しみです。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」BWV.4
カンタータ第150番「主よ、われ汝をあおぎ望む」BWV.150
カンタータ第196番「主はわれらをみ心に留めたまえり」BWV196
栗栖由美子(ソプラノ)
太刀川昭(カウンターテナー
片野耕喜(テノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS-CD-751)



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地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。