かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ブカレスト・フィルのブラームスピアノ協奏曲第2番と「哀悼の歌」

今回のマイ・コレは、ブラームスピアノ協奏曲第2番です。レーベルは最近取り上げていますArte Nova。そう、880円のあれ、です。

ブラームスは生涯で2つのピアノ協奏曲を書いていますが、第1番をこのレーベルの演奏で強烈なパンチを食らわされたので、では第2番も行ってみよ〜というノリで、購入したのがこれです。

そして、私は実はどちらかというとこの第2番のほうが好きです。演奏のせいもあるのかもしれませんが、とても個性的でかつ壮大な音楽。かといって第1番のような肩肘も張っていない。その点が気に入っています。

まず、その第2番の特徴と参りましょう。

ピアノ協奏曲第2番 (ブラームス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)

まあ、このウィキの説明で基本的なことは足りるのですが、一番注目していただきたいのは、この曲が4楽章制を取っていること。そしてその構成は全く持って交響曲であるということ、なのです。

ウィキから各楽章の構成を引用します。

1.Allegro non troppo
2.Allegro appassionato(スケルツォ
3.Andante
4.Allegretto grazioso

急〜スケルツォ〜緩〜急と、これを交響曲と呼ばずしてなんと呼ぶ?という構成です。ただ単に4楽章制であるだけではなく、この楽章構成こそ、この曲の最大の特徴だと言えます。

確かに細かいことを見ていきますと、ウィキにあるように「ソリストの超絶技巧の見せびらかしとしての協奏曲という従来の協奏曲観からは意図的に距離をとった作品であるが、それにもかかわらず、この作品が現実に要求する桁外れの難技巧は、多くのピアノ奏者や教師をして「最も難しいピアノ曲の一つ」と呼ばせてもいる」のですが、それよりも注目してほしいのはその楽章構成なわけなのです。

ここでブラームスはある意味革新的なことをさらりとやっているわけなのですね。これ以後、特に東欧の作曲家が交響曲にピアノを取り入れるということをやり始めるわけですが、その直接の源流はここにあると言ってもいいのでは?と思います。

あくまでもブラームスは「交響曲の形を借りたピアノ協奏曲」として書いていますが、その反対を今度は例えばスクリャービンシマノフスキ交響曲でやり始めるわけですね。「ピアノ協奏曲のような交響曲」として。反対というよりは、さらに発展させたというべきなのかもしれません。

そう考えないと、これ以降声楽ではなくピアノを交響曲に取り入れるという思想を理解することが出来ません。声楽であればすでにベートーヴェンが第九でやっているわけで、マーラーなどはあきらかにその延長線上であるわけですが、ブラームスは結局ベートーヴェンに強い影響を受けながら、交響曲には声楽を入れることはしませんでした。その後それはマーラーがやるわけです。

しかし、ブラームスがやった「交響曲の形を借りたピアノ協奏曲」のインパクトはどれほどだったのでしょうか。このCDのブックレットにもそれは載っておらず、以下のサイトでようやくその様子が浮かびかがってきました。

ブラームス : ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 / Konzert für Klavier und Orchester Nr.2 B-Dur Op.83
http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/brahms/001063.html

特にこの解説で重要な点は、これはこのCDのブックレットでも述べられていることなのですが、オーケストラとピアノが対等で、まるでオーケストラの一部であるかのような構造になっていることです。それがピアノ交響曲ともいうべきものになっているのですね。

ブカレスト・フィルはそういった点を考慮してか、ピアニストをサポートするというより、一緒になって熱くなっているという点がとても聴いていて素晴らしいなと思います。冷静さを失わず、でもピアニストとともに盛り上がっていく。この点のアンサンブルは聴いていてうなります。特に第4楽章の主題展開部がいい。オケがかなり熱くなっているのにピアノも応えていますが、しかしなりすぎていない。素晴らしい演奏だと思います。

つづく曲は「哀悼の歌」。実はこの曲が入っていたことでその前に買った4枚と一緒に買うべきかどうか迷ったものです。ブラームスの「運命の歌」を歌った経験から、その分厚い和声はたまらない魅力ですから。

「哀悼の歌」はこんな曲です。
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/B/Brahms/S2525.htm

1881年に書いた曲で、友人フォイエルバッハの死を悼んで作曲されたものです。ギリシャ神話から題材をとっていますが、何か無常を感じるのは私だけのでしょうか。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・・」などと琵琶法師が出てきそうな歌詞です。

私は聞いた当時、それを真っ先に感じ取っていました。ブラームスは古典を重視していた人であることは、すでに交響曲第4番や、ハイドンの主題による変奏曲をご紹介した時にも触れていますが、以下のサイトにも言及がありました。

「Naenie(哀悼の歌)op.82」
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/kousaka/wagner/120th/nenie.htm
(な、なんとアマチュア合唱界では超有名な早稲田ワグネル男声ではありませんか!この曲をとりあげるとは、さすがです・・・・・)

こういった「西洋の古典」が東洋の古典である「平家物語」と同じ主題をとりあげているということに、この曲で気づかされたのです。ただ、この曲はブラームスがクリスチャンであるという証明でもありますが、最後きちんと救済があります。最後実はこの曲自体は長調ですし、また最後の歌詞も悲しみ(あるいは哀しみ、でしょうか)だけではなくそれを癒す部分を持っています。それが

愛する者の口より出ずる嘆きの歌は素晴らしいものだ

という歌詞に凝縮されています。この点が平家物語とは若干異なる点かもしれません。

ただ、私はそれは平家物語では建礼門院のくだりで表現されているような気もしています。その点では、私が常に意識している日本の古典への憧れという点にも、マッチした曲なのだと思っています。

恐らく日本でブラームスが好まれるのは、彼の音楽が本質的に持っている「無常」というものが民族的な好みに合致するから、なのでしょうね。

この曲では合唱団の力の抜けた演奏が素晴らしく、それをサポートするオーケストラも本当にアンサンブルが秀逸です。曲が持っている無常観を、透明な演奏で絶妙に表現しています。

この曲は私が運命の歌の次に好きな曲でもありますが、それゆえにいくつか音源を持っています。しかし、この演奏が一番いいですね。やはりその無常観を表現するには、この合唱団の演奏のような透明感が絶対に必要だと私は思っていますし、またそれにしっかりと寄り添うオケも、他の曲でも見せる力強さだけではないしなやかな表現力をもって演奏しているのが好感持てます。

マチュア合唱団が演奏会のプログラムに乗せることが多い曲ですが、アマチュアオーケストラが定期演奏会にのせるとか、あるいはプロオケが定期に乗せるなんてことがあると、もっとこの国のクラシック界の演奏は豊かになるのになあと思います。



聴いているCD
ヨハネス・ブラームス作曲
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83
哀悼の歌 作品82
ヴォルフガング・マンツ(ピアノ)
クラウゼンブルク・フィルハーモニー管弦楽団アカデミー合唱団
クリスティアン・マンデール指揮
「ジョルジュ・エネスコ」ブカレストフィルハーモニー管弦楽団
(BMG Arte Nova BVCC-6062)



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