かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:バッハカンタータ全曲演奏シリーズ44

今月のお買いもの、3枚目は毎度おなじみの、ちり紙交換・・・・・ではなく、バッハ・コレギウム・ジャパンのバッハカンタータ全曲演奏シリーズの第44集です。

今回は第146番、第88番、第43番の順で3曲収録され、いずれも1726年のカンタータとなっています。そのうち、第146番は初演は1726年であって、詳しい成立年はわかっていないようです。

BCJのサイトにディスコグラフィーがあるのですが、そこでは1726年のカンタータとありますので、鈴木氏はその認識でこのアルバムを編集していると言っていいと思います。もちろん、そのテクストで演奏会もやられています。

さて、まず第146番「われら多くの患難を経て」は、1756年5月12日に初演されたとされています。直筆譜が伝えられておらず筆写譜のみなので成立年や初演がよくわかっていないのですね。記録に残るのは1726年5月12日のようなので事典はそれに従っているようです。

この曲の大きな特徴として、冒頭のオルガンとBWV1052aの第2楽章からの転用、そして最終コラールの終了がちょっと変ということがあげられます。前半二つは第3年巻と呼ばれるバッハ研究の基礎資料に登場するカンタータの特徴で、そこから1726年と導き出しているようです。5月はそのカンタータの内容からの推測です。

そして私も聴いてあれ?と思ったのが最終コラールです。もしこれが受難曲のなかに入っていたとすれば明らかに次へと進むため一旦そこでエピソードを区切るために使われるコラールの旋律なのです。つまり、完全な終わりではないのですね。そういった旋律をカンタータの最後に持ってくるというのも、おかしな展開だなあと思います。

いったいその理由は何なのか、調べましてもよくわかりません。ただこの時期、4ケ月くらい作曲が開いているので、忙しかったということは想像に難くありません。というのもじつは、旋律としましては3年前に作曲した、第147番(有名な旋律のあれです)に使われている旋律が用いられているからです。しかし、では歌詞も同じかと思いきや、実は歌詞が伝承されていません。ですので、第146番と第147番とでは使われた目的が異なりますので、当然同じ歌詞にすることは出来ないということになります。

事典では、通常ここにはJ.ローゼンミューラーのコラール「人みな死すべき定め」もしくはG.リヒターのコラール「泣くのをやめよ」のいずれかとされていますが、この演奏では作曲者不詳のコラール「Freu dich sehr, o meine Seele 《大いに喜べ、おお、わが魂よ》」が使われていまして、どうやらそのほうが正しいようです。

Freu dich sehr, o meine Seele 《大いに喜べ、おお、わが魂よ》
http://www.kantate.info/choral-title.htm#Freu dich sehr, o meine Seele

それは、上記サイトのリヒターのコラールが挙げられている項目で説明されていました。新バッハ全集では、「大いに喜べ、おお、わが魂よ」を使うようにされたようなのです。

Lasset ab von euren Tränen 《泣くのをやめよ》
http://www.kantate.info/choral-title.htm#Lasset ab von euren Tranen

私が持っているものと同じものをここの管理人さんも参照しているはずなのですが、こういった差違が起きることもあります。私が持っているものももう10数年前に購入したものになりますから、違いもでてくるのでしょう。こういったサイトはありがたいなと思います。

次に第88番「見よ、われ多くの漁(すなど)る者を遣わし」です。これは初演の時期が明らかになっていまして、1726年7月21日ライプツィヒでの初演です。キリスト者本人の信仰という問題を深く掘り下げる内容となっています。そういったことが背景にあるのか、2部構成になっていまして、第4曲を中心に、冒頭アリアと最終コラールが対応するという構成を取ります。ある意味、ルネサンスの構成が生き残っているともいえるかと思います。冒頭で展開された旋律を常に各楽章で展開し、音楽を形作ってゆくというものです。バロックではすでにそういったことはやられていませんが、これだけ同じ旋律を使うというのはルネサンスからの伝統を感じる一つです。

最後に第43番「神は喜び叫ぶ声と共に昇り」です。1726年5月30日、ライプツィヒで初演されました。実はこの曲までの4か月間、楽譜が現存しません。第146番もあくまでも写譜です。その意味で、事典では彼が久し振りに作曲したものだったのではないかと推測しています。その真意は定かではないですが、可能性は十分あるでしょう。この時期のバッハはとても忙しいのです。すでにヨハネ受難曲も作曲し、カントルとしての仕事が充実していた時期でもあります。そういったこともあって、新たなカンタータを作曲している時間が取れず、それまでの間は既存のカンタータでしのいでいたということが想像できます。

ただ、聴きますとこの曲はコラールの旋律も自然ですし、全体的な構成も素晴らしく、それゆえに第146番はかなり忙しい時期に作曲されたものと推測できます。そしてなぜ最終コラールの終了が唐突なのかも、何となく推測できるのですね。実は第146番は30数分かかる大曲です。いっぽう、この第43番は20分ほどで終わってしまう曲です。どちらが十分な時間をとって作曲できるかは、明らかでしょう。天才アレンジャーでコンポーザーであるバッハをしても、十分なものにならなかったものが出てくるくらい、忙しかったということが想像できるのです。

それでも2部構成ですし、第6曲目を中心として冒頭合唱と最終コラールが対応するという構成も第88番と同じで、重厚なものとなっています。ただ、この曲もその冒頭合唱が唐突に始まる感じで、それが実は第146番と同じなのです。そういった部分からも、この時期のバッハがいかに忙しかったのかを想像させます。

バッハはあまりハイドンのようにどや顔、あるいはにやり、とするような作品を作る人ではありません。あまり冒険をしないで、もしするにしてもさりげなくする人なので、音楽が自然に流れるのです。その彼があえてこの時期だけ冒険をするということは考えられません。やはり、とても忙しかったのだということだと想像します。

こういったアルバムは、バッハの音楽性をよく伝えているように思います。さすが鈴木氏だと思います。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第146番「われら多くの患難を経て」BWV146
カンタータ第88番「見よ、われ多くの漁(すなど)る者を遣わし」BWV88
カンタータ第43番「神は喜び叫ぶ声と共に昇り」BWV43
ラッヘル・ニコラス(ソプラノ)
ロビン・ブレイズカウンターテナー
ゲルト・テュルクテノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1791)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。