かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン交響曲全集28

神奈川県立図書館所蔵CDハイドン交響曲全集の第28回目は、いよいよパリ交響曲の佳境、第87番、第88番「V字」、第89番です。

今回も以下のサイトと、ウィキペディアを参照しています。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

第87番は普通言われる「パリ交響曲」の最後、第88番と第89番はP.トストのために書かれた作品で、「トスト交響曲」と言われます。上記サイトではまとめて「パリ交響曲」とカテゴライズし、一つの期間区分をしています。

まず、第87番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-87

1785年の作曲です。解説にある通り、八分音符のエネルギッシュな音楽は、聴き手をぐいぐいと音楽へ引きこんでいきます。音楽的にはモーツァルトを意識しつつ、あくまでも自分の音楽を作り上げようとしているかのようです。転調がそういうようなものへとすでに変わっています。このあたりにも、自分の限界を知ったうえで、何が自分にできるのかというポジティヴな思想が反映されています。

この年、ハイドンモーツァルトから「ハイドン四重奏曲」の献呈を受けるなど、モーツァルトとの交流が密になっていますが、そんな中であくまでも自分の音楽を貫きつつ、相手の音楽へ尊敬の念を想うハイドンのその精神が、この曲にもすでに現われているように思います。

その点がさらに反映されるのが、次の「トスト交響曲」だと思います。

その第88番「V字」が次の紹介する曲となります。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-88

この曲は弦楽四重奏曲の時にも取り上げた曲なのですが、P.トストのために作曲された曲で、1787年に作曲されたであろうと推測されています。私もそんな気がします。モーツァルトの影響を受けつつも、あくまでもハイドンらしい転調と、精神性を兼ね備えた名曲です。特に第1楽章の主題展開部の、畳み掛ける転調は逆にモーツァルトには見受けられない、エネルギッシュなものです。

御年55歳のハイドンが、モーツァルトに勝るとも劣らないエネルギッシュな作品を、自分らしい音楽で、しかもモーツァルトの音楽に影響を受けながら作曲する。こんなことはそうできることではありません。

ウィキの説明もあげておきましょう。恐らく編成を自由にしたことがそういう音楽になった一つの要因だと思います。

交響曲第88番 (ハイドン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC88%E7%95%AA_(%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3)

タイトルのV字とは、単なる整理番号でしかないのですが、しかしそのVが勝利、つまりvictoryと勘違いしてしまうほど、堂々たる音楽です。まさしくハイドン交響曲を代表する1曲と言っていいでしょう。

最後に第89番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-89

作曲年は第88番とおなじ1787年で、こちらはそれがはっきりとしています。ただ、上記サイトではあくまでも順番的にはこの第89番のほうが先の成立と考えているようです。これも「V字」同様の音楽性をもち、P.トストがエステルハージ楽壇でどれだけ重要な位置を占めていたかがしのばれます。

実はこの3曲は一番最初に図書館で借りたものでもあります。その時はピリオド演奏でした。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン 交響曲第89番ヘ長調Hob.�T−89 他
http://yaplog.jp/yk6974/archive/212

栄えあるコーナー第1回目で、これをとりあげているのです。実はこれを借りた時に、ハイドンは全集を借りたい、できればピリオドで、と考えていました。それだけ、演奏としては素晴らしいもので、特にテンポ感が抜群でした。

しかし、その後図書館ではピリオドでは集められないことを知って、モダン演奏であるこのドラティ/フィルハーモニア・フンガリカのものを借りてくるようになるわけなのですが、どこでどんな発見があるかわかりません、そのことが私の「史実に忠実な演奏とは」という考え方を根底からひっくり返すことにつながってゆきました。

以前入っていた合唱団では、古典派の時代は音楽の最後にリタルダンドはしないのだと教わりました。それをする場合は、一番最後にフェルマータがついている場合である、と。ところが、この一番最初に取り上げた演奏は、思いっきりリタルダンドをしています。

ところが、このドラティはそれをオケにさせません。あくまでも最初から最後まで等速で突っ走っていきます。それはモダン演奏でありながら、古典派の時代の演奏スタイルに忠実であるわけなのです。

同じような演奏はモーツァルトでもモダン演奏でありました。そんな音源を神奈川県立図書館は特に全集でそろえています。

こういった点からも、私はピリオドというのは、その時代に忠実とはもはや言えないのではないかと思います。むしろ、当時に近い楽器を使うことで、音的に近いものを提供し、その上で自由な表現を行っている、一つのスタイルというようにとらえるべきなのだと思います。

しかしそれは逆に言えば、ピリオド演奏が広く認知されたことでもあります。モダン楽器で後期ロマン派風に演奏していたことを、こんどはピリオドでやっているにすぎないわけです。逆に今度はモダンで流行のごとくある時期から「リットせず」ということをやり始めたわけですね。

そして今では、モダンの演奏のほうがむしろほとんどリットしません。こういった点に注目していくと、以外にもモダンの演奏にも面白い点がちりばめられていることに気づかされます。

以前からモダンの演奏を高く評価してきた私ですが、図書館で借りてよかったと思うのは、それがかつてはモダン至上主義であったものが、もっと柔軟になっていくきっかけにもなっていったという点です。今、特に国内では古典派以前では「ピリオド至上主義」なのですが、そろそろそれにとらわれない演奏の時代が来ているのではないかという気が私にはするのです。

それだけの力は、もうすでに日本のオーケストラにはついているように、私には思えるのです。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第87番イ長調Hob.I-87
交響曲第88番ト長調「�X字」Hob.I-88
交響曲第89番ヘ長調Hob.I-89
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリ



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