かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:タリス・スコラーズの「ヴィクトリアのレクイエム」

今回のマイ・コレはタリス・スコラーズが歌うヴィクトリアのレクイエムです。

このCDを買った時に、まさかこんなタイムリーな話題で取り上げるなんて、思いもよりませんでした・・・・・

十数年前、私はルネサンスの音楽へと興味が向き始めていまして、そのなかでも特に私の心を捉えた作曲家がいました。それが、ヴィクトリアです。確か、NHKのFMで放送していたのだと思います。それと、友人宅で聞いたヴィクトリアのいくつかの曲。なんとストイックな人だろう・・・・

そう、音楽がとてもストイックなのです。

トマス・ルイス・デ・ビクトリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2

このウィキの説明にもあるように、とても情熱的なのです。それはスペインの風土なのかもしれませんが、とにかくストイックで、情熱的。人の声だけでこれだけ心が、魂が震える曲があるのかと思いました。その代表曲がこのレイクエムなのです。

この曲は1605年にマドリッドで出版された6声のためのアカペラ曲です。アカペラであるが故、日本ではアマチュア合唱団が今でもよく演奏しています。出版の2年前に亡くなった皇太后マリア(神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世の妃、彼はウィキにある通り彼女に奉職していました)を悼んで作曲されたもので、作曲時期もそのあたりだろうと言われます。

通常、この曲は以下の構成で歌われます。

�@入祭唱
�Aキリエ
�Bグラドゥアーレ
�Cオフェルトリウム
�Dサンクトゥス、ベネディクトゥス
�Eアニュス・デイ
�Fコンムニオ

基本的にモーツァルトなどが作曲したレクイエムとおなじ構成なのですが、このCDでは以下の通りになります。

�@わが心は生活に疲れたり
�A入祭唱
�Bキリエ
�Cグラドゥアーレ
�Dオフェルトリウム
�Eサンクトゥス、ベネディクトゥス
�Fアニュス・デイ
�Gコンムニオ
�H葬送モテトゥス「わがハープは悲しみの音に変わり」
�Iレスポンソリウム「主よ、われを解き放ちたまえ」

これは校訂者の意向でこうなったようですが、これがまたとても静謐なうえ、さらに魂からの歌声になっているゆえんでもあると私は思います。校訂者は当時の慣習を反映させただけのようですが、しかしまず最初の「わが心は生活に疲れたり」はその歌詞からまるで刃を突きつけられたような心の激しさを内包していますし、また後半に追加された2つも、深い悲しみを最大級で表現しています。

ヴェルレクもベルレクもとても壮大で素晴らしい音楽で私も好きですが、しかしこのヴィクトリアのレクイエムは派手さがないだけに、心、あるいは魂の奥深くに沈殿した悲しみというものがにじみ出ています。このタリス・スコラーズの演奏は、それがどうしても表へと出てしまうのを抑えきれないといったものになっています。Hが間に挟まらない流麗な発声という実力のある歌唱の上で、どうしても抑えきれない深い悲しみ・・・・・

多分、こういうように冷静に文章がかける私は幸せなのだと思います。もし、今被災地の方がこの曲を聴いたとしたら、悲しみのあまり悲嘆にくれるのではないか・・・・・そんな気がします。

この曲はそれだけに取扱いに要注意です。とても深い悲しみが全曲を貫いていますから・・・・・癒されるなんて簡単に言えない曲です。

できれば、この曲が何年か経ったときに、被災者の心の悲しみを知っている作曲家が過去にいたのですよと、その心に寄り添うことが出来たとすれば、私は紹介した人間として、幸いに感じると思います。



聴いているCD
トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア作曲
レクイエム
アロンソ・ロボ作曲
わがハープは悲しみの音に変わり(レクイエムに入っているモテットとは別の曲)
ピーター・フィリップス指揮
タリス・スコラーズ
(Gimell PHCP-1902)


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