かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン交響曲全集11

神奈川県立図書館所蔵CDのハイドン交響曲全集の今回は第11回です。収録曲は第40番から第42番までの3曲です。

今回も以下のサイトを参考にしています。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

さて以前、ハイドンはある時期から4楽章の交響曲だけになるのだと申しましたが、ここからは収録曲はすべて4楽章の曲になります。実際に作られた順番からしますと45番目の第41番からということになりますが、ちょうど2曲目にそれが収録されています。

まず、第40番ですがエステルハージ家副学長時代の1763年に作曲されています。楽章構成も初期古典派らしいものになっています。サイトの年表を見ますと、面白いことにこの第40番を作曲したことからハイドンはほとんど3楽章の交響曲を書かなくなってきています。この点は私は注目すべき点だと思います。そしてなぜモーツァルトは最後まで3楽章の交響曲が混じったのか、このあたりから透けて見えるのではないかと思います。

しかしサイトにはこんな一文が載っています。

「自筆譜に使用された五線紙や様式の違いから、この曲は本来別々に成立した楽章を組み合わせたのではないかと考えられている。」

え?そんな風には全く聴こえません。違和感を感じないんですよね。ハイドンの構成力あるいは編曲能力もかなり高いなと言わざるを得ません。私たちはモーツァルトの天才ぶりばかりに注目してしまいますが、それを最初に尊敬の念を持って認めたのはハイドンだったということを忘れてはならないと思います。これだけの編集というか、編曲ができたからこそ、モーツァルトの能力を高く評価したのだなと思います。

最終楽章はフーガとなっており、サイトによりますと彼の交響曲の中では唯一の正式なフーガであるとあります。しかしそれが何とも軽妙でそれでいて落ち着いていて、疾走感もあるものになっています。ドラティの指揮のせいなのかもしれませんが、とにかく徹頭徹尾軽妙で言葉から受けるほど重々しくないのが特徴です。

第41番はいわゆる「シュトゥルム・ウント・ドランク期」、つまりエステルハージ家の楽長に就任する時期の作品で、1768年の作品です。第1楽章は堂々たるファンファーレで、モーツァルトならオペラの序曲に使ってもいいような音楽です。では3楽章なのかと言えば4楽章なのです。しかも各楽章は独立しています。こういった点もハイドンを聴く点で重要だなと思います。

また、サイトの解説によれば展開部には「偽再現」があるとあり、しかもそれはハイドンお得意とあります。そう言えばいくつかそんな曲もあったような・・・・・そんなテーマでまた語っても面白いと思います。ハイドンは聞き出すとネタに困らないんですよ〜、交響曲は。確かに形式などだけで語ってしまうとあまり語れないのですが、音楽そのものとなりますと実はけっこうネタが転がっているんですよね。ハイドンがどんな気持ちで作曲したのかが想像できます。なんか、作曲家と会話しているような気持になって、楽しいですね^^

メヌエットはギャラント様式です。その意味ではC.シュターミッツの音楽をギャラント様式と間違ってしまうのはむりからぬことなのかもしれません。そもそもギャラント様式自体が古典派の美意識へまっすぐつながる様式ですし、間違えやすいと思います(初めは私もわけわからなかったですから、ギャラント様式は)。終楽章もこっていますが音楽は素直。こんな点もハイドンの音楽の魅力です。それを何食わぬ顔で演奏してしまうんですよ、オケは。自家薬篭中とはこのことですね。

第42番は第41番とおなじ時期区分になる曲で、1771年に作曲されています。形式的にも音楽的にも古典派している(ただ、楽章構成は最初の2楽章が緩徐楽章という珍しいものである)この曲は、この3曲の中でもやはり時期的に一番遅い時期の作品らしくその精神性が抜きんでています。ハイドンは軽薄と揶揄されますがきちんと精神性も持っています。迎合だけが彼のとりえではありません。迎合したのは銭を稼ぐためであって、魂までは売り渡していませんよという典型です。アカデミックでありながら素直な音楽をめざしたこの曲は、軽妙さよりもはるかに精緻さのほうに重きが置かれていまして、特に第4楽章のリズムと疾走感はさわやかでもあります。モダンのオケはそれを軽く演奏することでさらに清涼感を増しています。

それにしても、ハイドンの音楽において「地位」というものは本当に大きな影響を及ぼしているんだなあと思います。地位が低いからと言ってやけになることもないですし、また高い地位に立ったとしても自分の音楽性を変えることもないですし、さらに磨きをかけていこうとしています。

ハイドンが貴族のくびきにとらわれているというのは、あまりにも表面的な見方なんじゃないかという気がしてきます。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第40番ヘ長調Hob.I-40
交響曲第41番ハ長調Hob.I-41
交響曲第42番ニ長調Hob.I-42
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリ



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