かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン交響曲全集12

神奈川県立図書館ハイドン交響曲全集の第12回目です。収録曲は第43番「マーキュリー」と第44番「悲しみ」です。

今回も以下のサイトを参照しています。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

前回も申しましたがハイドン交響曲はすでに4楽章制のみとなっています(かろうじて、協奏交響曲交響曲として扱うのであればそこまで3楽章制はないということになりますが、私はそれを交響曲とは考えていません)。

じつはこの2曲、番号も作曲順も続いている、ハイドンのこの時期の交響曲にしては珍しいものとなっています。

まず、第43番「マーキュリー」です。

http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-43

1770年から71年にかけて作曲されたものです。上記サイトの説明では実験的と書かれていますが、実際それほど実験的なのかというくらいの素晴らしい曲です。確かに展開をしていくにあたって何か迷っているようなそんな感覚を受けるのは事実ですが、それはまるでリフレインです。少なくともこの演奏ではリフレインのように繰り返す部分弱めになっているので、わたしはさほど不安定な感覚を受けません。

それはある意味、ドラティとフィルハーモニア・フンガリカがプロとしてはヨーロッパではごく普通の音楽教育を受けてきている証拠でもあると思います。リフレインは弱くする・・・・・それが基本です。それを忠実にやっている現場を聴くことが出来ます。

そしてサイトでも言及がありますが、緊張感がある曲となっていまして、軽妙さがあるのにも関わらず、気高さと気品があります。このあたりから確実にハイドンの音楽が変化するのを感じます。

次に第44番です。

http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-44

まず、題名に「悲しみ」などとついているのでどれほど悲観的な曲なのかと思いますが、短調ですからそれなりに暗い曲ではありますが悲観的ではありません。しかしなぜ「悲しみ」という通称がついたのかと言いますと、実はこの曲は1809年のハイドン追悼のコンサートで演奏されたことに由来するのです。

交響曲第44番 (ハイドン)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC44%E7%95%AA_(%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3)
(この曲は幸いにウィキ等ネットのほかのサイトでも説明がありました)

ハイドンが要望したとのくだりもありますが、実際ホ短調管弦楽では葬送音楽の性格を持っています。

ホ短調
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E7%9F%AD%E8%AA%BF

となると、何か死というものと向き合わないとその調を使うことは無いようにも思うのですが・・・・・そこまではどこも言及がありません。英語のウィキの説明も同じような感じであまり差がありません。なぜハイドンが葬送音楽の調性をここで使ったのかは現時点では謎です。

そんなことは横に置きまして、素直に聴きますととても美しい音楽です。ドラティとフィルハーモニア・フンガリカの演奏が素直であるせいもあるのでしょうが、第2楽章などは透明感すらあります。軽妙さはどこかへ行き、気品と気高さに満ちています。

形式的にもじつはそれを裏付けていまして、カノンが至るところで採用されていまして、特に終楽章の二重カノンは味わい深いものがあります。

この第44番は、ぜひ今回の被災地の方々に聴いてほしい一曲だなと思います。短調長調コントラストと対位法的な形式美が織りなす透明感・・・・・

是非、すべての犠牲者にこの音楽が捧げられんことを。



聴いている音源
交響曲第43番変ホ長調「マーキュリー」Hob.I-43
交響曲第44番ホ短調「悲しみ」Hob.I-44
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリ



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