かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:青少年のための管弦楽入門他 ラトル/バーミンガム市響

今日のマイ・コレは、ブリテン管弦楽集です。指揮はサイモン・ラトル管弦楽バーミンガム交響楽団です。

ブリテン・・・・・だれそれ?って言うのが大方の人の反応だと思います。確かにこの方最近になって人気が出てきた作曲家です。このCDを買った十数年前は、マニアや玄人筋の方にはけっこう人気でしたが、一般の音楽好きな人にはあまり印象がない作曲家でした。その彼の作品の中で唯一音楽鑑賞の時間でも取り上げられる曲が、彼が作曲した「青少年のための管弦楽入門」作品34なのです。

ところが、その曲は音楽鑑賞の時間でもあまり取り上げられなかったと思います。ではなぜ買ったのかと言えば、だから聴きたかったのが一つ。もう一つは最後の曲「シンフォニア・ダ・レクイエム」が聴きたかったから、です。

まず、ブリテンという作曲家がどんな人なのか、見てみましょう。これもウィキが一番適当でしょうか。

ベンジャミン・ブリテン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3

一番彼の音楽を表わす適当な言葉は、上記ウィキの本文中では以下の部分だと思います。

「1910年代生まれの音楽家ジョン・ケージのような例外を除いて前衛の時代に馴染めず、また同世代が戦禍の犠牲になるなど不遇の者が多い。そのような状況下でブリテンはイギリスの保守性を上手く活用し、機能和声語法を突き詰めることに成功した。」

つまり、音楽としては旋律線がしっかりとしている一方で、無調的な和声を保有する、ということです。これはそれ以前の国民楽派でもあったシマノフスキなどとも共通するものです。その影響はどうなのか?と私などは考えてしまいます。確かに、当時のイギリス音楽は私がいくつか聴いた範囲内では、ウィキの以下の記述通り

「イギリスの音楽事情は世界から後退した」

と言えるからです。しかし、それは一方でイギリス音楽が一定の特徴を持つことにもつながりました。保守イギリスというイメージです。イギリス音楽において、ブリテンとおなじくらいの役割を果たしたのは私が知る限り、それ以降はビートルズの登場を待たなくてはなりません。それくらい、ブリテンは祖国イギリスでは評価が高い作曲家です。

聴いているCDのブックレットによれば、ブリテンはオペラ作曲家として名をはせた人でしたが、いくつか印象的な管弦楽曲も書いています。その中でも日本人にもなじみが深いのが、冒頭に収録されている「青少年のための管弦楽入門」と最後の「シンフォニア・ダ・レクイエム」なのです。

まず、その1曲目である「青少年のための管弦楽入門」ですが、初演時の名称は「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」と言いました。これこそこの曲の構造をよく言い表していまして、まずパーセルのヘンリー・パーセルの歌劇『アブデラザール』(Abdelazar) から主題を引用し、それをさまざまに変奏していくのですが、単に変奏するのではありません。オーケストラの各パートが13変奏を次々に担当するのです。

青少年のための管弦楽入門
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%85%A5%E9%96%80

それは、この曲が英国放送協会BBC)が制作した音楽教育映画 Instruments of the Orchestra (オーケストラの楽器)のために1945年に作曲されたためなのです。

そのためか、この曲はよくできています。変奏をオーケストラの各パートが担当することから、当然映画ではその部分でナレーションが入ることになります。そして最後にはフーガが挿入されています。つまり、オーケストラとはいかなるものなのか、そしてクラシック音楽でよくみられる、伝統のある変奏曲とはどのようなものなのかを音楽で持って語らせているのです。なおかつ、主題にヘンリー・パーセルのものを持ってくることで祖国の芸術へのリスペクトも自然にしているという、まさしく相手方の要求に沿いつつ、自分の世界を構築することに成功しています。

そういう背景をきちんと知っていないと、この演奏を評価するのはとても難しいでしょう。ラトルはあまりいい評価を与えられることはないですが、この演奏はとても端正であるがゆえに、この曲が持つ上記の特徴をよく表現していると思います。ただ、よくできた曲なのでいちど変態演奏があれば聴いてみたいですが・・・・・・なお、初演はマルコム・サージェント指揮、リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団で行われ、解説はエリック・クロージャーによって行われ、映画では指揮と解説もサージェントが行い、演奏はロンドン交響楽団でした。

2曲目は、英連邦の一つである、カナダの謝肉祭をとりあげた文字通り「カナダの謝肉祭」です。いきなり、土着的な音楽が鳴り響き、その旋律が全体を支配してゆきます。特に弦が民族的な音を出していて、それが少し不協和音になっているのが逆に美しい旋律となっています。1939年の作曲で、ウィキにも記述があるピーター・ピアーズとともに訪れたカナダの印象から書かれました。

3曲目は元英領で独立したアメリカをとりあげた「アメリカ序曲」。この曲は数奇な運命をたどっていまして、作曲されたのは1941年。アルトゥール・ロジンスキーとクリ―ヴランド管からの委嘱でブリテンの短いアメリカ滞在の中で作曲されたのですが、作曲年からお分かりの通り、第二次世界大戦中。すでにドイツ海軍による通商破壊戦が行われている最中でした。ブリテンは42年の四月にイギリスへと帰国し、さらにロジンスキーは43年にニューヨーク・フィルハーモニックへ移ったため、演奏機会が失われてしまいました。その後、スコアは様々な手に渡ったと言われ、最終的にブリテンの晩年にニューヨーク公立図書館が所有することになり、その真偽をブリテン自身が確認した結果、1983年11月にこのCDのコンビによって初演されたのです。そのせいか、この演奏はとても誠実な印章を受けるもので、ブリテンに対する尊敬の念を感ずるものです。

音楽としては映画音楽のような印象も受けます。東部よりも西部のイメージがわく音楽で、雄大な大陸を想像するような旋律に彩られています。

4曲目はイギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」です。完成は1974年で、ブリテンの最晩年に当たり、そしてこの曲は彼の最後の作品でもあります。標題の由来はこの曲を書くインスピレーションを与えたトーマス・ハーディーの詩「生まれる前と死んでから」の冒頭からとられていますが、ブックレットによりますと、この「過ぎ去りし時・・・」というのはかなり意訳で、本来はA time there wasなので「〜時代があったのだ」というのが正しいそうです。ちなみに、その冒頭は「人がいうように、じっさい、この世の教えが告げているように―人間の意識の誕生する前は、みんなうまくいっていた時代があったのだ」とはじまります。

この冒頭の詩と、滑稽かつ不協和音がちりばめられている旋律からは、ブリテンの晩年の枯れた心のうちが見え隠れしているように感じるのは私だけなのでしょうか?曲は5つからなっていて、特に4曲目の「リスを追え」はヴァイオリンでバグパイプを表現するなど、まさしくブリテンらしい「優しい旋律と不協和音が融合された上での保守的な音楽」が実現されています。

最後が「シンフォニア・ダ・レクイエムシンフォニア・ダ・レクイエム」です。この曲は1940年に日本政府の委嘱によって作曲されました。この一文でクラシックに詳しくない方でもピン!と来るものがあると思います。そうです、この曲は「皇紀2600年」を奉祝するために、当時の日本政府が幾人かの作曲家に委嘱したうちの一つなのです。

実はこのCDを買った当時、皇紀2600年祝典音楽会のために委嘱された作品のうち、リヒャルト・シュトラウスのもののスコアが発見されたというニュースが舞い込んできまして、読売日本交響楽団によって再演された(私はそれをヴィデオで持っています)機会がありました。そのドキュメントのなかで、ブリテンのものにも触れていたのです。そして当時日本政府が内容がそぐわないとの理由で演奏しなかったということも。それがこのCDを購入させた二つ目の理由につながっています。

たしかに音楽としては暗いものです。いきなりティンパニが鳴り響き、この世の終わりかと見まごうような旋律。この事実だけではブリテンは日本の軍国主義に反旗を翻したと思われがちですが、実際には当時ブリテンは相次いで両親を失っており、その心の傷がいえないうちに委嘱を受けたことがこのような作品につながったとされています。初演のスコアには両親の死を悼んでとあったそうなので、むしろ反戦主義者であるからこそ、自由な音楽を望んだ結果、委嘱者と温度差が生じてしまったというところが真相のようです。たしかに音楽としては高度な旋律もありまして、このCDでもオーケストラが苦労して演奏しているがわかります。つまり、天皇の御前で演奏するものだからこそ、高度な作品を提供したいという意思が見て取れます。実際ブリテンは演奏されないことに抗議はしていますが、それ以上はとくに何もしなかったようで、終戦後来日してN響を振った時には涼しい顔をしていたとブックレットには書かれています。

シンフォニア・ダ・レクイエム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0

曲は全部で3部にわかれていますが、構成的に面白いのは、フランス風の3楽章あるいは古いまさしくシンフォニアであれば急〜緩〜急であるところを、彼は緩〜急〜緩で構成しているという点です。このことからも彼は日本政府が委嘱という特殊な点を考慮し、力が入った作曲をしていることが分かります。ただ、当時の日本はこの音楽を受け入れる土壌は全くありませんでした。それが結局敗戦へと至ったのだとすれば、私たちはこの一点だけでも、考えさせらるものに満ち溢れている1曲だと思うのです。

演奏は細かい点を突けば批判はできるものであると思います。しかし、私はそれはやりません。このブリテンの作品はそれぞれ現代音楽でも高度なものばかりであると思います。旋律線がはっきりしていながら不協和音もある彼の作品は、頭の中で逐一切り替えながら演奏しませんと難しいと思うからです。フォーレでさえそんな音楽なのに、ましてやブリテンです。

たしかにプロですからそれはやれるとは思いますが、バーミンガム交響楽団というオケを考えた時、私はこの演奏を批判する気にはなれません・・・・・・



聴いているCD
ベンジャミン・ブリテン作曲
青少年のための管弦楽入門 作品34
カナダの謝肉祭 作品19
アメリカ序曲 作品27
イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」作品90
シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20
ウェズリー・ウォレント(トランペット)
ピーター・ウォルデン(コーラングレー)
サイモン・ラトル指揮
バーミンガム交響楽団
(EMI TOCE-9309)



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