選抜高校野球が始まりました。我が母校は無事1回戦を突破しました。
しかし、その母校の応援には、いつもの吹奏楽がありません。
そう、地震により、今大会はなしになったからです。しかし応援歌が健在で、よかったと思います。
今月のお買いもの:ブラバン!甲子園4
http://yaplog.jp/yk6974/archive/519
このエントリを立てた時にも申しましたが、日大三高には応援歌が3つあります。このエントリで紹介したCDには第3応援歌が収録されましたが、もちろん第1、第2応援歌も存在します。
こんなとき、そんな学校はすばらしいなと、改めて母校の素晴らしさを認識しています。
吹奏楽の応援は、昭和40年代後半になって行われるようになったとされ、アメリカンフットボールの応援に影響を受けていると言われています。高校野球の歴史から言いますと半分以下程度の歴史ということになります。
たまには、なくてもいいかなと思います。これがずっと続くとなるとちょっとさみしいですが・・・・・でも、これを機会に「応援歌」をつくる学校が増えるといいですね!
歌はとても力があります。何よりも「言葉」がついていますので・・・・・その分、伝播力があるのですね。
こういった伝統的な応援の仕方も、見直してみるのも高校野球にとってもいいことなのではないかと思います。選手に対する「本当の応援」とは何かを考える、いい機会だと思います。
それはいずれ、吹奏楽が使えるようになった時に、決して無駄にならないと私は思います。
今回の選抜を見ていて、応援の声がやはり小さいなと思いました。応援するほうは一生懸命でしょうし、見ていて画面ではそれを感じますが、しかしそれがグラウンドにも伝わっているのかなと、ふと疑問に思いました。なぜなら、テレビの音声で拾い切れていないので・・・・・
人の声だけでどこまでやれるのか。西洋音楽では人の声を最上のものと考え、楽器が進化してきた歴史があります。応援もここでそのテクストで考えてみてもいいのかもしれません。
ちょうど今、ウィリアム・バードの5声のミサ曲を聴きながら、そんなことを考えています。
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