かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:退廃音楽

今月のお買いもの、2枚目は「退廃音楽」です。実は、もう20年位前にデッカから出ていたものなのですが、当時から関心を寄せていました。ただ、現代音楽ですからなかなか私は食指が動かず、ようやく買おうと思った時には廃盤になっていたという代物です。今回横浜・関内の輸入クラシックCD専門店「プレミア・ムジーク」で買い求めました。もちろん輸入盤です。

21世紀になって一度プレスされたようですが、その後再び廃盤になったようで、今では再び手に入れるのが困難になっています。

DECCA 退廃音楽シリーズ (ENTARTETE MUSIK) 入手不能
http://www.cadenza-cd.com/label/decca_entartete.html

上記のサイトにありますように、もともとシリーズだったようで、最初に私が発見したのもどうやら一番最初にある抜粋版だったようです。そして今回買い求めたのもその抜粋版です。

ですので、一つ一つの曲についてお話ししますとその1曲だけでエントリを上げなくてはいけませんので、あくまでもこのCDについてに絞ってお話しします。

まず、退廃音楽とはどういったものかをお話ししましょう。

退廃音楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%80%E5%BB%83%E9%9F%B3%E6%A5%BD

細かいことは上記ウィキを参照していただきたいのですが、簡単に言えば、1930年代にナチスによって弾圧された音楽のことです。その理由はウィキにありますとおりさまざまですが、要するにナチスが標榜した「純粋なドイツ文化」を破壊するからだめ、というものです。

当時ナチスは1000年王国などと言って、ドイツ文化純粋主義(ドイツ文化原理主義といったほうが適当かもしれません)を掲げていました。それに合わないものは「退廃芸術」の烙印を押され、弾圧されたのです。

弾圧しただけではありません。「さらしもの」にしたのです。その典型行為が「退廃芸術展」でした。これは市民に芸術の止揚を図るのが目的ではなく、「こういった芸術があるのでそれを弾圧しよう」という宣伝に使われたのです。

それにより、多くの芸術家がドイツを離れることとなりました。そのひとりに、先月のこのコーナーでご紹介したコルンゴルトがいますし、実はコルンゴルトの曲も15曲目に入っています。

さて、退廃音楽は実際にはどういった代物なのかといいますと、これも様々です。少し斜にかまえたような曲もあり、滑稽なものもあります。そして確かに何となく淫靡な雰囲気を漂わせるような曲まで、実に様々です。はっきり言いまして、私たちがイメージする退廃というのはやはり淫靡なものだと思いますが、必ずしもそういった曲ばかりではないのです。

これはこのCDを聴いてみなければわからない点であって、だからこそ私はずっとこの手の音楽が聴きたかったのです。たとえそれが自分が好きではないものだったとしても、実際に史料としてこれらの音楽を聴きませんと「退廃音楽とは何ぞや?」と考えられませんから。

実際、音楽的に素晴らしいものが多く、旋律線や雰囲気のみで弾圧されているものも結構あります。それをナチスの思想と見比べて、合わなければ弾圧したのです。

同じ時期、弾圧されなかったのが、勝利三部作を書いたカール・オルフであり、その代表作が「カルミナ・ブラーナ」です。しかし、その歌詞をよく見てみますと、彼も実はかなり淫靡なものをとりあげています。ただその比喩が高度であるだけで、内容が「大人」のものであることには変わりありません。このあたりにナチスの独善を見ることが出来ます。

デッカのこのシリーズがもう手に入らないのは残念の極みですが、しかし私はこのCDを手に入れたことで、退廃音楽作曲家のリストを手に入れたようなものです。実際にはハイライト的な部分もありますのでじっくり聴くような内容では実はありませんが、そこから自分で集めてゆくきっかけには十分なるだけのインパクトを、このCDは持っていると思います。



聴いているCD
退廃音楽
(DECCA 476 8708)



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村


一人でも多くの方が救出されるとともに、被災地がいち早く再建されんことを祈ります。