かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン交響曲全集4

神奈川県立図書館ハイドン交響曲全集の今回は第4回目。第13番から第16番までをとりあげます。今回も以下のサイトを参照しています。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

実は、第15番以外はエステルハージ家副楽長時代の作曲で、その第15番はモルツィン伯爵家時代の作品となるのですが・・・・・

まず、第13番です。これが堂々とした4楽章の交響曲です。ホルンが4本使われていまして、その音色がとても印象的な曲です。またティンパニも効果的につかわれています。しかしこのティンパニは用いられないこともあるようです。他の演奏では用いられないとどのようになるのか、この曲だけでも聴き比べをしても面白そうですね。

第4楽章ではサイトで触れられているように確かに対位法的な部分と和声的な部分が交錯してソナタを形成しており、形式美を創造しています。

第14番も形式としては全体的には同様の構造を持っています。作曲年代としては第13番の前年である1762年であり、そのせいかこちらのほうがややおとなしいものとなっています。

と思っていますと、とんでもない曲が次に待ち構えています・・・・・・

第15番が何とも奇妙な曲でして、4楽章形式ではあるのですが、果たして第1楽章はどのようにとらえたらいいのでしょう?まず緩徐楽章のごとくの前奏が入り、そのあとテンポアップしプレスト、そして再び緩徐楽章のようなアダージョとなります。まるで三部形式のような構造です。

スケルツォとも取れるこの楽章が、第1楽章・・・・・私はびっくりしました。極端に言えば「腰を抜かし」ました、これは。第1楽章から第3楽章まで一つの緩徐楽章のような錯覚にすら陥りますので、この曲全体がゆったりとした曲なのではないかと誤解してしまいそうです。

第15番はこの第4集の中では唯一のモルツィン伯爵家時代の作品ですが、実は成立は1761年とそれほどほかの3曲と離れてはいません。確かにプリミティヴなわけでもないですし、音楽としては堂々としています。しかし、メリハリがない・・・・・もしかするとそれこそ、ハイドンの仕掛けた「罠」なのかもしれません。確かにこの時期のハイドンを考えますと形式をいろいろ試していている時代なのでという修辞句で述べたくもなりますが、果たしてそうなのかと疑問を呈せざるを得ません。いくらなんでもスケルツォがここでいきなり出てくるわけではないですし、なにか驚かせてやろうという気持ちのほうを私は感じます。第4楽章は通常の急楽章ですし・・・・・

第16番は1763年初めに成立したと考えられている作品です。この4つの中では唯一の3楽章で、しかもきちんと急〜緩〜急のフランス風構造を持っています。フーガかなと思ったら実はソナタ形式でしたという第1楽章は、ギャラントな感じすら受けます。その点からはむしろこの曲こそこの時期のハイドンを象徴するもののように思われます。

いずれも交響曲が単なる序曲のようなものから脱却するような、そんな意識のもと作曲されているようにも受け取れます。それはもしかするとハイドンの仕事場が田舎にあったが故の独創なのかもしれません。

ドラティとフィルハーモニア・フンガリカのコンビはそれを端整であるだけでなく、優美かつ力強く演奏しています。それがそれぞれの曲に生き生きとした生命を与え、モダンと言えどもいまだに説得力をもつものにしています。アンサンブル、バランスどれをとっても秀逸。

不足がないことが果たしていいのか?と思ってしまうくらい、素晴らしい演奏です。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第13番ニ長調Hob.I-13
交響曲第13番ニ長調Hob.I-13
交響曲第15番ニ長調Hob.I-15
交響曲第16番変ロ長調Hob.I-16
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリ



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