神奈川県立図書館所蔵CDハイドン交響曲全集の第7回目は第25番から第28番までをとりあげます。
今回も以下のサイトを参照しています。
ハイドンの交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn
まず第25番ですが、1760年から61年にかけて作曲されたもので、モルツィン伯爵家時代の作品です。特徴としてきちんとした前奏があるという点です。第1楽章にきちんとした前奏があるのもこの時期のハイドンの交響曲としては珍しく、それが故にそれまでの作品とは一味違います。
そうなりますと、やはりこれ以前にあった前奏のようで第2楽章のような第1楽章は、ハイドンが「やって見せた」作品だったように思います。こんな作品を作ってみせよ、などと言われてはい、いかがでしょうかといった感じでしょう。
この二つのコントラストは私たちにハイドンの非凡な才能を印象付けているように思います。
次の第26番は「嘆き」とか「哀歌」などという標題がついている作品です。作曲年代は1768年と実はこの4つの中では一番新しく、上記サイトの時代区分でもシュトゥルム・ウント・ドランク時代の作品とされています。
この「シュトゥルム・ウント・ドランク」というのは実は時代的にはずれているんですが便宜上そう呼ばれます。ハイドンがエステルハージ家の楽長に就任する時代で、かの有名な第45番「告別」が作曲されたのもこの時代です。つまりハイドンの黄金期の始まりを告げる時期でもあります。
第26番は標題からしますとどれだけの嘆きなのかって思いますが、実際はそんな御大層なものではありません。それなのにこの曲にそんな標題が付いた理由として、上記のサイトでは主題がニ短調であること、そして第2主題が受難曲からの引用であることだと説明しています。
ハイドンを聴くことはこんなにもアカデミックなことを必要とするのだなと思います。そこにハイドンの不人気の理由があるような気がします。
3曲目の第27番は一転してモルツィン伯爵家時代の1757年から60年にかけて作曲されています。交響曲全体の順番においても6番目という若い作品です。しかしモダンの演奏であるせいか、そんな若書きの感覚がかんじられません。
この第26番と第27番はともに3楽章です。しかし面白いのは、形式的には第26番の最後はメヌエットになっているのにもかかわらず、第27番は単なる急楽章であるということです。この時期のハイドンの音楽界での「地位」というものを感じざるを得ません。
最後の第28番は4楽章形式になっていまして、1765年に作曲された、時期区分上ではエステルハージ家副楽長時代の最後の作品となります。4つの楽章それぞれはすでに古典派の楽章構成となっていまして、堂々とした作品です。そんな点はもっと注目していいと思います。
どうしても音楽的なすばらしさというものはモーツァルトやベートーヴェンに較べれば劣ってしまうので評価が低いのでしょうが、しかし彼らの音楽へバロックからつなげた一人がハイドンであり、そしてその時代ではトップクラスであったからこそ、大バッハの息子達に比べて人口に膾炙して音楽が残ったはずです。それを考えますと、私は粗末には扱えません。
ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカのコンビはそれを本当に軽めの演奏でさらりとやりながら、真っ向から取り組んでいます。奇をてらわず、ただまっすぐに・・・・・
だからこそ、名演と言われるのでしょうね。
聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第25番ハ長調Hob.I-25
交響曲第26番ニ短調「嘆き」Hob.I-26
交響曲第27番ト長調Hob.I-27
交響曲第28番イ長調Hob.I-28
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリカ
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