かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集11

県立図書館所蔵CDハイドン弦楽四重奏曲全集特集の今回は第11回目、全集の第11集を取り上げます。収録曲はロシア四重奏曲の第5番と第6番、第43番とプロシア四重奏曲第1番です。

この第11集には実は3つの作品が収められています。ロシア、プロシア、そしてスペイン。え、スペインは?とおっしゃるかもしれません。それが第43番です。この時期のハイドンにしては珍しく6曲でまとまらずたった1曲しかありません。しかし第43番は比較的短い曲なので、他の5曲は失われたスペイン四重奏曲だと言われています。

まずロシア四重奏曲第5番である第41番ですが、最終楽章にシチリアーノが使われている愛らしい曲です。シチリアーノと言えばいわゆるシチリア舞曲でして、とても優雅な舞曲です。これがパストラーレの中で使われますとクリスマス用になるわけなのですが、この曲はどうやら単独で使われているので、そうではないようです。単に優雅な雰囲気をかもし出したいという目的のようです。そのシチリアーノを使った変奏曲となっています。

シチリアーノはいろんな作曲家が使っていますが、特に有名なのはコレッリモーツァルトフォーレでしょう。コレッリは合奏協奏曲第8番「クリスマス協奏曲」で、モーツァルトはピアノ協奏曲第23番で、フォーレは文字通り「シシリエンヌ」で使っています。

ロシア四重奏曲第6番である第42番も終楽章が変奏曲。フーガとも思ってしまう二つの主題による変奏曲で、フーガ変奏曲と言ってもいいのかもしれません。ハイドンの弦四はそういった「パッケージ」になっていることが多く、この「ロシア四重奏曲」ではスケルツォの使用(と言っていいかはわかりませんが)と2曲で終楽章が変奏曲であるという点が「パッケージ」です。

スペイン四重奏曲だったとされる第43番は、1785年の完成です。ロシア四重奏曲が1781年であることを考えますと、確かに4年経ってたった1曲しか作曲しないというのは彼の作曲ペースから考えますとおかしな話で、なるほどほかの5曲は失われたと考えるのが自然です。抜けるような青空を思わせる各楽章は、とても魅力的で、気品を持っています。第3楽章の弾むリズムなどはエオリアンはすこしべったりしているかなあと思います。それはそれでいいのですが、もう少し軽めにスピード感を持って(まるでアルバン・ベルクのように)演奏しますと、この曲の雰囲気はがらりと変わるのになあと思います。そんな点が、ハイドン弦楽四重奏曲の評価を下げているような気もするんですよね。

第44番はプロシア四重奏曲第1番です。この「プロシア四重奏曲」という名の由来は、この作品50の6曲がプロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世に献呈されたことによります。そしてこの第44番は完成の3年も前に購入予約が入ったというエピソードが残されており、当時のハイドンの人気を物語るものです。確かに、第1楽章からあっと言わせる仕掛けがありまして、主調は変ロ長調なのに、あれ短調?と思うような曲調で始まりますし、終楽章ではいったん終止してから再開し、フィナーレを飾るなど、某自動車評論家か言うような「びっくり箱」がそこかしこに用意されています。こんな曲を当時の人はBGMにしていたのか・・・・・いや、恐らくそうではないでしょう。恐らく、こういった曲は単なる会合で演奏されたのではなく、当時の知識人たちが集う「集会」で演奏されたのだと思います。コレッリなどはそういった場所で演奏していますし、ハイドンも恐らくそういった人たちを前にして演奏することを前提としているはずです。

弦楽四重奏曲のようないわゆる室内楽を聴く場合、そういった視点は非常に重要だと私は思っています。作曲者のいわゆる「友」がたんなる友達ではなく、ある一定の「知識階級」であって、それなりの教養を身に着けている人たちだということです。それはロマン派へ移り変わっても同じですし、その点は見過ごされているように思います。まるで古典派の作曲家たちは奴隷である、そんな意見もありますが私は必ずしもそうは思っていません。ハイドンは確かに「お抱え作曲家」であって、古い時代の風習の中で生きた人ですが、その中でいい音楽を作ることに精進しています。委嘱者の要望ももちろんあるでしょうが、それがすべてであるなんて、音楽を聴く限りでは到底考えられません。ソナタ形式は当時のお約束であるだけで、特にこの第44番ではある意味「好き勝手やっているな〜」と感じます。ハイドンが演奏しながら「ここはどうでしょう?」なんて、にやりとしている様子が目に浮かびます。

そう、ハイドンと委嘱者との「コミュニケーション」なのです。ハイドン弦楽四重奏曲はそんないろんなやりとりが随所にちりばめられています。ベートーヴェンのように「ともよ、私の曲を聴いてくれ」という感じではなく、もう少しだけ下からですが、しかしハイドンも巧妙に自我を開放しているのには感心します。こういった方法もあるかーと感心します。だてに苦労していませんね、フランツは。

ベートーヴェンモーツァルトといった作曲家は、リアルでそのやりとりを見ていたはずで、そこからいろんなインスピレーションを受け取ったはずです。そう考えますと、ハイドンの音楽を聴かずして、彼らの音楽を聴くのは果たして深く掘り下げることになるのだろうかと、しばし立ち止まってしまうのです。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
ロシア四重奏曲作品33 第2集
弦楽四重奏曲第41番ト長調作品33-5 Hob.III:41(ロシア四重奏曲第5番)
弦楽四重奏曲第42番ニ長調作品33-6 Hob.III:42(ロシア四重奏曲第6番)
弦楽四重奏曲第43番ニ短調作品42 Hob. III:43
プロシア四重奏曲作品50 第1集
弦楽四重奏曲第44番変ロ長調作品50-1 Hob.III:44(プロシア四重奏曲第1番)
エオリアン弦楽四重奏団



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