かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集19

神奈川県立図書館所蔵CDハイドン弦楽四重奏曲全集第19集は、第2アポーニー四重奏曲とエルデディ―四重奏曲が収録されています。そう、あの「エルデディ」が登場です!

しかし、以下のサイトによりますと、私が言うとおりやはり素晴らしいのはエルデディだけではないようです。

ハイドン研究室 ハイドン弦楽4重奏曲の部屋第4室
http://www.masque-music.com/haydn/haydn2d.htm

特にアポーニーは高い評価をされています。それにロシア四重奏曲やプロシアも、そして第1第2トストは当然!そうでしょうねと私はぽん!と膝を打ちました。さすがきちんと楽譜でもって研究されている人は違うなと思います。

というより、この方が交響曲のページで書かれているのですが、私も同感ですでに述べていますが、やはり交響曲の初期のものがハイドンの評価を下げているという気がします。やはり弟子であるベートーヴェン、友人であったモーツァルトという二人の巨匠の存在が大きいのでしょう。

しかし、形式美という点からしますとむしろベートーヴェンよりも美しい部分があります。それがいかんなく発揮されているのが実はこのアポーニーとエルデディです。がっちりとした素晴らしいソナタ形式と繰り返し。そしてそこから紡ぎだされる音楽が持つ精神性は、ベートーヴェンに引けを取らないばかりか、形式美という点ではベートーヴェンを凌駕します。

つまり、ベートーヴェンモーツァルトの弦四が素晴らしいのは必然なんです。テキストとなったハイドン「先生」のものが素晴らしいのですから・・・・・

さて、第2アポーニー第3番である第74番です。ト短調という調性がとても厳しい音楽を形成するのに重要な役割を果たしています。これが軽いノリなのか?いいえ違います。上記HPの方も述べていらっしゃいますが、ハイドンの作品はすべて「サロン」で演奏されるために作曲されたもの。つまり、一定の教養人たちが集まる場所で演奏されることを想定して作曲されています。思惑がないわけがないと私は思います。第4楽章の堂々たる音楽はこの曲を「騎士」と呼ばしめています。

次の曲はエルデディ第1番である第75番です。この曲は確かに魅力あるものです。のびやかで堂々とした気品ある第1楽章、ゆったりとした第2楽章、実質スケルツォなのに明るくのびやかな第3楽章、そして主調が長調であるにも関わらず短調で何かを告げるようにはじまる第4楽章。どれをとっても高いレヴェルで、もうわたしではついてゆけないくらいです。それもそのはず、このエルデディは演奏家にとても評価が高いのです。それだけ専門的に突き詰めている人でなければその面白みが分からないという点を含んでいます。ということは、当然ハイドンもそういった教養のある人たちが聴いていることを前提に作曲をしている、ということになるのです。これを理解できないことが、日本に「サロン」がない決定的な理由だと思っています。

エルデディはハイドンがウィーンへ戻った後に作曲されています。上記サイトを参照していただきたいのですが、イギリスという国はマスコミが早くから発達した国の一つで、かなりハイドンもその「ネタ」にされてあることないこと書かれています。そう、いま日本でも「マスゴミ」なんて言葉がありますよね?まさしく当時のイギリスはその「マスゴミ」が書き立てていたというわけです。音楽的には成功する下地はあるが、サロンのようなものがない・・・・・それに嫌気を指していた部分はあるようです(一方では交響曲では大規模な作品がかけてなおかつ聴衆の反応がダイレクトであるということで創作意欲もかきたてられています。それが「成功」の部分ですが)。

このサイトは本当にウィキよりも信用できますので、お勧めです。

最後のエルデディ第2番である第76番ですが、これが再び短調ニ短調という「英雄調」なのですね。室内楽でですよ・・・・・第九やモツレクと同じニ短調なのです。そのせいか、気品を通り越してまさしくその音楽は「気高さ」を持っています。その意味ではエルデディを聴くべし!というはあながち間違ってはいないでしょうし、そういった説明は必要なのではないかと思います。そのニ短調で奏でられる「五度」の旋律・・・・・それがとても印象的で、それをソナタ形式の中で展開していくと、こんなにも美しいのかとほれぼれします。

第2楽章は一転優しい音楽。第1楽章の厳しさはいったいどこへ行ったのでしょう。ここでハイドンは時間がかかってしまったけれども、形式美と精神美を融合させ、高いレヴェルのものを完成させたのです。で、ベートーヴェンの作品18がいつ成立したかといいますと、エルデディから3年後の1800年。エルデディの出版は実はその一年前です。ベートーヴェンの成功の裏にハイドンありと考えざるを得ない時系列の一致です。これはモーツァルトと違い、積み上げ型であるベートーヴェンでは史料を時系列で話すことができる好例です。だから私もコメント等で述べていますが、ハイドンモーツァルトベートーヴェンと考えるのです。

第3楽章もゆったりとしたメヌエットですが、第4楽章になるとそれが一転、主調のニ短調へ戻ります。そして転調の素晴らしいこと!確かにエルデディは素晴らしいですね。それは同感です。最後までその形式美と高貴さをうしなわないその音楽は、ブラヴィ!を掛けたくなります。

さて、実はこの第19集にはもう一つ収録されている曲がありまして、それがハイドン最後の弦楽四重奏曲となりました第83番です。これは第2楽章と第3楽章と思われる2楽章しかないのですが、これが生前その形で出版されているのです。ハイドンは幾度か完成させようと努力したのですが、結局できず未完成のまま世に送り出すという、通常ではあってはならないことをやってしまっています。しかし、この二つの楽章を聴いて言えますことは、それまでの作品から「突き抜けている」ということなのです。音楽から軽妙さがなくなり、気品と気高さで満たされています。もう少しハイドンが若ければ、一体どんな音楽が生まれたのでしょう。ハイドンは田舎暮らしであることに不満を持っていたようですが、それはおそらくこういった音楽がかける時期にに書けなかったということなのでしょうね。ようやくそれが実現できるときには、もう身体的に苦しい時期になっていた・・・・・それをおもいますと、涙が出てきます。

いちおうニ短調ということになっていますが、それが正確かどうかはわかりません。上記サイトでははてなマークが付けられています。「○調」というのは第1楽章の第1主題がその調であることから言うのであって(ゆえに「主調」と呼びます)、その第1楽章がないこの第83番は正確にはニ短調とは呼べないからです。調の並べかたからの推測にすぎないということだけは触れておきたいと思います。

今週はエルデディがつづきます!



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
第2アポーニー四重奏曲作品74 第2集
エルデーディ四重奏曲作品76 第1集
第83番作品103
弦楽四重奏曲第74番ト短調作品74-3 Hob.III.74「騎士」(第2アポーニー四重奏曲第3番)
弦楽四重奏曲第75番ト長調作品76-1 Hob.III.75(エルデーディ四重奏曲第1番)
弦楽四重奏曲第76番ニ短調作品76-2 Hob.III.76「五度」(エルデーディ四重奏曲第2番)
弦楽四重奏曲第83番ニ短調作品103 Hob.III.83(未完成)
エオリアン弦楽四重奏団



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