かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集21

神奈川県立図書館所蔵CDハイドン弦四全集の第21集は、エルデディの第6番とロプコヴィッツ四重奏曲です。これでハイドンの形式的な「弦楽四重奏曲」は最後のものとなります。

まず、エルデディ第6番である第80番は、第1楽章がソナタ形式ではないという点に特徴があります。変奏曲なのですね。いきなりそうくるか〜と思います。そういえば、先日ご紹介したサイトに面白い言葉がありました。ハイドンは前衛だったというのです。

なるほど、そういわれてみれば、ハイドンがなぜ「弦楽四重奏曲の父」と言われるかが理解できます。前衛でなければ、そういった新しい音楽を作り出すなんて不可能です。現代の私たちの感覚からすれば確かに古典ですが、当時の基準から言えばハイドンは明らかに「前衛」です。特に、このエルデディを作曲した時には・・・・

その前衛をうけついだのがベートーヴェンであったことを考えますと、なるほどと思います。

しかしこの第80番ではその前衛さは私たちにとってはとても美しい古典美です。ソナタ形式は最後にしかありませんが、変奏曲があって、メヌエットがあってしかもそれは事実上のスケルツォ。第1楽章と第4楽章はともに主調。どう考えても現代音楽でいう「前衛」とはかけ離れています。私たちが好む音楽です。特に、ポップスで・・・・・

それをハイドンが切り開いたとすれば、もっと高い評価を与えてもいいように思います。

次の第81番とその次の第82番は「ロプコヴィッツ四重奏曲」と言われていまして、その2曲しかありません。本来は6曲ないしは3曲は作曲する方針だったと考えられます。というのは、先日ご紹介した第83番はもともとロプコヴィッツ第3番になる予定だったとも言われているからです。そう、あの未完成のものです。ハイドンベートーヴェンが活躍する19世紀になりますと、創作意欲はあっても健康上ままならない時期が続きます。そのため、2曲だけで出版したと考えられています。

理由としてはお金です。それゆえに批判されることもハイドンは多いのですが、しかしハイドンがお金のために出版しなければ、この2曲は果たして完全な形で残ったかどうかはわかりません。モーツァルトの素晴らしい音楽ですら出版しなかったものは散逸していることを考えれば、私たちはハイドンがお金のために出版してくれたことを感謝しなくてはなりません。そのおかげで、最高傑作との呼び声もあるこの2曲を今聴くことが出来るのですから。

この2曲の特徴としましては、形式的にはもはやベートーヴェンと一緒であるということです。スケルツォと言っても実質メヌエットだったものから脱却し、逆にメヌエットであるが実質スケルツォになっているという点です。テンポもスケルツォらしいものになっていますし、ベートーヴェンを意識しているのかもしれません。それこそ「前衛」ハイドンらしいなと思います。時代の最先端を取り入れていく・・・・・それこそ、ハイドンの姿勢だったのですね。だからこそこれ以前にはにやりとするようなものも入れていったと考えれば、そういった音楽に納得です。

第81番は音楽としましても素晴らしく非の打ちどころがありません。それぞれの楽器のからみあいがとても美しく、気品と気高さをもちながら温かみもあります。それだけの音楽なのでエオリアンですら第4楽章ではかなりアンサンブルが崩れそうになっています。それだけの音楽を書いているということです。いっぽう第82番は冒頭から温かみが支配しつつ、気品と気高さをもち、さらに優しさを含有します。その美しさと言ったらありません。第1楽章の堂々としたソナタ形式から生み出される主題と中間部とのコントラストは、うっとりするくらいです。そして通常であればそこで緩徐楽章が来るはずなのに、事実上のスケルツォであるメヌエットが来まして、幾分早いテンポになります。いや〜ここではゆったりさせてくれよ〜と言っても、ハイドンは「前衛」ですから〜!そうは問屋がおろしません。その音楽も各パートが絡み合う妙を楽しむことが出来ます。

そして、ほしかった緩徐楽章は第3楽章でやってきます。確かにこの展開は若干すでに衰えも見えるかなと思います。もっとハイドンが若かったら、違う音楽が出来ていたかもしれませんね。この点だけが残念と言えば残念ですが、かといって音楽は全く非の打ちどころがないのです。むしろとても透明感があって、いろんな感情が湧き上がってきます。

第4楽章は堂々たるソナタ形式から再び素晴らしいコントラストが生み出されます。そう言えば、この曲には「雲が行くまで待とう」という標題が付けられてもいます。

そして本来は先日ご紹介した第83番となるわけで、実はこの83番もメヌエットは実質スケルツォなのです。そういったハイドンが行ってきた前衛が、すべてベートーヴェンに受けつがれていることを考えるとき、ハイドン弦楽四重奏曲は実は交響曲よりももっと音楽史上重要名のではないかと私は思うのです。エオリアンの演奏はそれを如実に語っているように私には思えます。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
エルデーディ四重奏曲作品76 第3集
ロプコヴィッツ四重奏曲作品77
弦楽四重奏曲第80番変ホ長調作品76-6 Hob.III.80(エルデーディ四重奏曲第6番)
弦楽四重奏曲第81番ト長調作品77-1 Hob.III.81(ロプコヴィッツ四重奏曲第1番)
弦楽四重奏曲第82番ヘ長調作品77-2 Hob.III.82「雲がゆくまで待とう」(ロプコヴィッツ四重奏曲第2番)
エオリアン弦楽四重奏団



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