かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集10

県立図書館所蔵CDのハイドン弦楽四重奏曲全集、今回は第10集のご紹介です。収録曲は第37番から第40番の4曲。所謂「ロシア四重奏曲」のうちの4曲です。

この「ロシア四重奏曲」作品33は、その名の由来として以下のように言われています(出典:ウィキペディア

「これら6曲は、アルタリア社から出版された第2版に、「ロシア大公に献呈」と記されたことから、「ロシア四重奏曲」の呼び名で呼ばれている。このロシア大公とは、のち1796年にロシア皇帝となったパーヴェル・ペトロヴィッチのことである。」

これって、何かに似ています。そう、ベートーヴェンの中期の傑作、ラズモフスキー群と一緒なのです。しかも、状況もよく似通っています。ハイドンは実は前作太陽四重奏曲を作曲してから、このロシア四重奏曲までほぼ10年弦楽四重奏曲を書いていません。ウィキペディアによると、「『太陽四重奏曲』は、対位法によって、強固に凝縮された構造を持ち、それまでディヴェルティメントの一種でしかなかった弦楽四重奏に新たな芸術的価値を付与することを目指したものだったが、弦楽四重奏という新しい形式に、バロック時代の旧式な対位法形式を持ち込んで価値を高めるという手法に、斬新なハイドンは不満だったからである。また、このような手法により『太陽四重奏曲』はあまりに肩肘の張りすぎたものになり、ハイドンは手詰まりの状態にあったといえる。」とあり、なるほど、確かに肩肘張っているものでありました。私としてはそれでもほかの作曲家とはかなり違って軽妙でとても親しみやすいと思っていますが、それでもハイドンは「固すぎる」と考えていたということが分かります。この点からしても、彼の目指していたものが実はとても高かったということが分かるかと思います。

以前から、一見するとつまらなそうなもののほうが伝播力があるのだと申し上げていますが、ハイドンが目指していたのはまさにそれであるということがこのことからしてもわかります。

確かに、この作品33ではまったく新しい地平が広がっています。以前にもまして洗練された音楽と、形式美の追求です。それが「スケルツォ」の使用という形で表れており、それこそが以前と違い、そしてこのロシア四重奏曲の特徴となっています。つまり、古典派以後の「弦楽四重奏曲」の形がここで完全に形成された、音楽史の上でもとても重要な作品であるということなのです。

翻ってみて、ベートーヴェンもラズモフスキーで弦楽四重奏曲の新たな地平を切り開いたわけでして、状況からすればかなり似通っています。この時代、ハイドンをはじめとする作曲家たちがいろんな影響を与えていたのは間違いありませんし、モーツァルトベートーヴェンがそれらの作曲家たちにリスペクトしていたのはそれを見ても明らかです。

エオリアンの演奏は素晴らしいですが、しかしそれゆえにこのハイドンこそ、私はアルバン・ベルクで聴きたいと思っています。あればですが・・・・・そう思うほど、ここからハイドン弦楽四重奏曲はいろんな表情を見せ始めます。ハイドンはどうも軽薄に思うんだけどという方、ぜひこの「ロシア四重奏曲」から聴き始めてみてはいかがでしょう?

まず、第37番は第2楽章がスケルツォですが、まだ完全なものではありません。テンポがそれほど速くはなくややゆったり目。しかし少なくともアレグロですので緩徐楽章ではありません。ここが最大の特徴でしょう。だんだん固まってくるその序章という感じです。

第38番はその終楽章がユニークな終わり方をすることから「冗談」と呼ばれますが、これが「御冗談を」と言われるのかという感じです。それほど古典美あふれる曲です。今風に言えば「ニヤリ」でしょうかね〜。冗談と言えばむしろモーツァルトの「音楽の冗談」のほうがはるかに笑えます。しかしそれもよくよく考えてみますと、ハイドンの影響を抜きには考えられません(交響曲「告別」等)。音楽は楽しいものというテクストで、ハイドンは貫き通していたということを私たちに教えてくれています。

第39番は「鳥」というニックネームがついていますが、これは第1楽章の第2主題が似ていることからきています。しかしこれも説明ではスケルツォがゆっくりだと言われますが、アレグレットで果たしてそうなのでしょうか?このあたりはもう少し精査が必要な気がします。ここまでいずれもアレグロもしくはそれに準じる速度指定です。果たして真実は?ピリオドだったら速かったりして、というのはよくある話です。

第40番は比較的短い曲ですが、これもスケルツォはゆったり目。確かにエオリアンもそう演奏していますが、果たしてそのテンポは正しいか?と思います。間違っているとも言える立場では私はありませんが逆に正しいともいえないと思います。これもピリオドで演奏してみたらもっと速く演奏できたという可能性もあります。

ここまでなぜテンポにこだわるかと言えば、私はシュライヤー指揮の戴冠ミサ(http://yaplog.jp/yk6974/archive/452)のときにも言及しましたが、演奏のやり方次第では実はゆっくり目のものが速く演奏できるということを知ってしまいましたし、そのような事例はロマン派以降の作品であればいわゆる「変態演奏」という形でいくらでも「名盤」「名演」という形で数多くの録音が残されています。ハイドンは今までが冷遇されていたことからか、まだ変態演奏と言えるような演奏がないように思います。それは古典派であるからなかなか難しいでしょうが、しかしスコアリーディングにたけている方であれば数が多くなれば必ず出てくると私は思います。その時にも、この説明なのかどうかはわからないと思います(ちなみに、一応出典はウィキペディアの当該番号曲です)。

古くさいからつまらない・・・・・いや、それは正しいか?とハイドンを聴きますと常にその疑念が頭をよぎるのです。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
ロシア四重奏曲作品33 第1集
弦楽四重奏曲第37番ロ短調作品33-1 Hob.III:37(ロシア四重奏曲第1番)
弦楽四重奏曲第38番変ホ長調作品33-2 Hob.III:38「冗談」(ロシア四重奏曲第2番)
弦楽四重奏曲第39番ハ長調作品33-3 Hob.III:39「鳥」(ロシア四重奏曲第3番)
弦楽四重奏曲第40番変ロ長調作品33-4 Hob.III:40(ロシア四重奏曲第4番)
エオリアン弦楽四重奏団



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