かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集9

県立図書館所蔵CDハイドン弦四全集の今回は第9回目。第9集を取り上げます。収録曲は太陽四重奏曲作品20の後半3曲である、第34番から第36番です。

この太陽四重奏曲の特徴として、終楽章にフーガが使われている曲があるということです。それは3曲でして、前回の第32番、そして今回の第35番と第36番です。

フーガは主にバロックで使われた形式ではありますが、それ以降も様々な作曲家によって使われています。モーツァルトもそうですし、ベートーヴェンもそうです。さらにはブラームスサン=サーンスなども使用した、とても重みのある形式と言っていいでしょう。

しかし、ここでは多少重々しい雰囲気をかもし出していますが、かといって重々しすぎることはなく、むしろ曲の気品を保つことに役立っています。こういう使い方もあるか!と感嘆せざるを得ません。

実際、BGMとして聴いていたら、通り過ぎてしまうほどの存在感の無さですが、それは逆に言えばフーガを使っておきながらそれを軽妙なものにすることが出来る、ハイドンの非凡さの証明でもあります。さすがのモーツァルトも、フーガを使うとなると作品が重々しくなっていますし、ベートーヴェンも何か高貴なるものを表現したいときにフーガを使う傾向があると思います(晩年の弦四や「第九」など)。それを考えますと、ハイドンはフーガを決して粗末に扱わずそれを使って軽妙な音楽を書いたということになります。

わたしはこれはとてもアカデミックだと思いますし、かなり高度な作曲法なのではないかと思います。これほどフーガをある意味バロックの時代のように、いかなるシーンでも使いこなした作曲家を古典派以後で私は知りません。

バロックの時代であれば、たとえばバッハもカンタータのような宗教曲ばかりではなく、世俗曲でも使っていますから軽妙な音楽はいくらでもあります。しかし、それ以降となると、フーガがまるで金科玉条のように重々しいものととらえられているように思います。しかしハイドンのこのフーガはあくまでも軽いのです。軽薄ではなく軽妙。これを天才と呼ばずしてなんなのでしょうか。

しかも面白いのは、実は第35番のフーガは「フーガ・ア・ドッペル・ソゲッティ」と記載され、第36番のフーガは「フーガ・ア・トリオ・ソゲッティ、アレグロ」と記載されている点です。ドッペルは2、トリオは3の意味です。では1は?となると、それが第32番であるわけで、つまりこの6曲の中で3つのフーガがあり、それぞれに一つ目、二つ目、三つ目と振られているということなのです。つまり、この6曲は明らかにセット、ということになります。

実際ぜんぶ聴きますと2時間ほどかかりますが、ちょうど何かの会合が終わるにはそんな時間ですよね。となりますと、この作品群は明らかにリアルで使うことを考えて作曲されているということになります。様々なサロンでの会合を念頭に入れられている・・・・・

となりますと、ハイドンの意外な側面が浮かび上がります。単に他人の要請で作曲をしていたという奴隷的な点ではなく、もっと能動的に「こうしたら面白いのでは?便利なのでは?」と考えて作曲されている、そう考えざるを得ないのです。

エオリアンもこの3曲では不必要にアインザッツを強めてはいません。優しいタッチを必要とするところでは徹底的に優しいタッチで弦を弾いていまして、そのメリハリには脱帽します。

どんな作曲家でも、まずは室内楽から入ってみるほうが食わず嫌いにならずに済むのかもしれないなと、これを聴いても感じています。

そろそろ、バルトーク行けそうかな・・・・・



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
太陽四重奏曲作品20 第2集
弦楽四重奏曲第34番ニ長調作品20-4 Hob.III:34「太陽四重奏曲」第4番
弦楽四重奏曲第35番ヘ短調作品20-5 Hob.III:35「太陽四重奏曲」第5番
弦楽四重奏曲第36番イ長調作品20-6 Hob.III:36「太陽四重奏曲」第6番
エオリアン弦楽四重奏団



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