かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集8

県立図書館所蔵CDハイドン弦四全集の今回は第8回目です。太陽四重奏曲の登場です!

太陽四重奏曲とは、ハイドンの弦四作品20の6作品のことを指します。その由来はアムステルダムのフンメル社から出版された楽譜の表紙に太陽が描かれていたことであり、太陽を題材にしたとかそういうことではありません。実際、そのほかの出版社から出版された楽譜には太陽が描かれていません。標題ではなく通称ということですね。

この第8集ではそのうち前半3曲が演奏されていますが、楽章の役割はすでに固定され、注目点はその音楽性となります。全く持って温かいその音楽は、どれも私たちを慈愛で包み込んでくれます。

間違いなくハイドンの音楽に突っ込みを入れるとすれば「それ以外には語るものがない」ということになるでしょうが、確かに形式ということでかたろうとしますと本当に苦労します。しかしその音楽性を語ろうとしますと、まったく別の世界が広がってきます。

ハイドンの音楽はベートーヴェンモーツァルトよりはるかに古い音楽性を持つがゆえに、BGMとして最上の音楽である、ということなのです。いまこうやって書きながら聴いていましても、聞き流しながらしかししっかりとその音楽が自分の心を離さないのですから不思議です。

これはバロックもそうですが、聞き流しながらもその音楽が自分の心を離さないというのは、忙しい現代人にとってとても大切なことなのではないのでしょうか。確かに音楽は聴き手を「注目させる」ことを念頭に発展してきました。しかし、それが故にクラシック音楽は作品によってはかなり周辺知識がないと楽しめないものになってしまいました。それはそれで知的な遊びとしてはとても楽しいものでありますが・・・・・

それが故に親しまれにくいという欠点も抱えます。それはその音楽が持つ定めであると思いますので仕方ありませんが、他ジャンルが好きではあるが本当はクラシックを聴いても充分楽しめる人たちの興味をそいでしまっている点は否めないと思っています。ではそのような人たちが決して知識や教養がないのかと言えば、むしろクラシックファンよりもあったりします・・・・・

そう考えますと、ハイドンを紹介するということはとても大切なことだと私は思います。

さて、この作品20では新たな試みをハイドンは行っています。それはフーガの使用で、この前半3曲では第32番の終楽章で使っています。ここまで何のとりえもなさそうな音楽を連ねておいて、ここでフーガか!とうならずにはいられません。それが軽妙かつ穏やかでありながら気品を併せ持つのですから、たまりません。

その上で、第33番は短調・・・・・・この作品20では一曲ずつよりもまとめて聴いてくるほうが面白いと思います。本当に音楽が穏やかに過ぎて行く第31番、最終楽章にフーガを使ってあっと言わせる第32番、そしていきなり短調となって高い精神世界へと連れて行ってくれそうな第33番・・・・・・

憎いなあと思います。明らかにサロンを意識しているように思うのは私だけなのでしょうか。つまり、徹頭徹尾聴衆を考えて作曲されているわけなのです。それはこれ以降の作曲家が失ってしまったものです。それは時代の流れゆえに仕方がないとはいえ、それが故にファンにも難解な音楽へと走りだんだんファン層が減ってゆくという事実を突きつけられたとき、ハイドンのこういった作品は、今とても意味を増しているように思うのです。

エオリアンはそれをメリハリつけて演奏しています。1970年代の演奏ですが、もしかすると今だからこそこの演奏が聞かれる意味があるのかもしれない・・・・・・そんな風に思います。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
太陽四重奏曲作品20 第1集
弦楽四重奏曲第31番変ホ長調作品20-1 Hob.III:31「太陽四重奏曲」第1番
弦楽四重奏曲第32番ハ長調作品20-2 Hob.III:32 「太陽四重奏曲」第2番
弦楽四重奏曲第33番ト短調作品20-3 Hob.III:33「太陽四重奏曲」第3番
エオリアン弦楽四重奏団



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