今回のマイ・コレは、アバド指揮ベルリン・フィルのヘルダーリンを扱った音楽アルバムです。
まず、ヘルダーリンという人の説明から入りましょう。ウィキの説明が一番いいでしょう。
フリードリヒ・ヘルダーリン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
ロマン派の文化人たちに影響を与えたヘルダーリン。彼の詩に作曲をした作品を歴史をたどるように収録しています。もともと、このアルバムはベルリン・フィルが93年に行った「レクチュア・コンサート」の「ヘルダーリン・シリーズ」がもとになっています。
ヘルダーリンの詩は何か遠くにある理想や美しいものに対するあこがれとそれが現実にない絶望という、理想と現実との乖離が主要テーマになることが多く、特にこのアルバムのタイトルにもなっている「運命の歌」は、その代表と言っていいでしょう。そして、私がこのCDを買ったのも、その「運命の歌」を聴く必要に迫られたからだったのです。
当時、私は仕事のかたわら川崎市宮前区にあるアマチュア合唱団に入っていましが、一方でほかの合唱団に「助っ人」として演奏をしに行くということをやっていました。テノールは合唱界では「世界の少数民族」と言われていまして、全体的に人数が少ないのです。そのため、ほかの合唱団から「助けてほしい」というお声がかかることが多かったのです。
そもそも、合唱をしている人たちは複数の団体を掛け持ちしていることが多く、私もある時期その宮前と大田区、さらには季節労働者的に横響合唱団と一緒に第九を歌ってもいました。そういう背景があって、私に「ブラームスの運命の歌を歌わないか」という要請が来たのです。しかし、私はその時その曲の存在を知らず、さらにはヘルダーリンという詩人も知りません。そのため、そのことを勉強するために、解説書のある国内盤で演奏を探して、買い求めたのがこの演奏です。
ですので、買ってから昨年くらいまでは「運命の歌」しか聴いていない状況でした。ほかの作品はあまり興味がないというか、わかない感じで、むしろ拒絶反応すらありました。それが、昨年くらいから様相が変わってきました。
そのほかの作品も素直に心に入ってくるようになったのです。リヒャルト・シュトラウスは比較的受け入れていた作曲家でしたが、レーガ―やリームと言った作曲家は、昨年くらいからようやくです。特にリームは今回核に当たって聴きなおしてみて、初めてその魅力が分かった作品です。
まず、ブラームスの「運命の歌」ですが、これは以前某SNSで述べているんです。それを一部転載します。
歌ってみると、大変です。合唱や管楽器をやられている方はよくわかると思うのですが、高音部をピアノないしピアニッシモで「歌い始める」んです!歌い始めはアルトですが、確かメゾピアノだったはず。テノールもそう。しかも、やわらかく。超弩級の難しさなのです。
でも、アマチュア合唱団は歌いたがるんです。なぜかって?お金かからないからですよ。だって、オケがあればコンサート成立してしまいますから。ソロパートがないので、ソリストが要らないんです。だから、その分節約できるんですね。全く、合唱団の自己中ですね(って、かつて自分もそうだろと影の声が・・・・・)。
そう、この曲はソリストがいらないんです。収録されている曲の中で唯一ソリストがいない曲ですし、また唯一の合唱曲でもあります。歌詞も転載したいのですが、これはブログではちょっと差し控えさせてください。ただ、これも私が書いた日記から転載しますが、
私たちは、理想と現実の狭間で悩みますよね。本当にその通りなんです。でも、それをあまり嘆くことは無い。そんな暇日常生活ではないからです。
でも、ふと立ち止まった時、「自分はこれでいいのだろうか」と思うことはありますよね。それをすべて受け止めたのがこの詩です。
もし、この詩を読んでぴんと来た方、この曲をお勧めします。
きっと、ヘルダーリンと同様、理想と現実のギャップで苦しんでいるだろうから。
詩をご紹介できないのが心苦しいのですが、図書館等で探してみてくださいませ。今でも私はそう思っていますし、だからこそこの現代音楽があふれる作品群の中で聴き続けても来たのです。単にブラームスという、後期ロマン派だからというだけでは自分自身でも説明が付きません。たしかに、ブラームスの解釈が前面に出ている分、心には届きやすいとは思いますが、かといってヘルダーリンの脈略のない詩は、そう簡単にわかる代物ではありません。
次は、リヒャルト・シュトラウスの歌曲「3つの讃歌」です。こちらもずいぶんと解釈が時代を反映したものになっています。後期ロマン派のにおいがぷんぷんするもので、ブラームス同様、ヘルダーリンの詩に対する表現がきれいすぎるんですね。ただそれゆえに、これも音楽としての美しさを楽しむことが出来ます。
問題は、次からなのです。3曲目はレーガ―の歌曲「希望に寄せる」です。このCDを買った時にはこのレーガ―もなかなか聞けませんでしたが、社会人になっていろんな経験を積んできますと、この曲くらいでは拒絶反応をしなくなりました。メロディラインも比較的しっかりしていますし、その上でヘルダーリンの理想と現実のギャップをもっと直接的な表現にしています。理想と現実とのギャップに苦しむ彼の心情に重きを置いている作品でして、現代音楽の様相を呈しています。がそれでも次の曲に較べればまだ旋律はしっかりとしているといっていいでしょう。
その次の曲は、リームの歌曲「ヘルダーリン断章」です。その名の通り、短い詩をいくつか連続して並べ、そこに音楽をつけたものですが、音楽はまるで連続しているかのように聴こえます。その音楽は完全に現代音楽でして、調性はどこへやら・・・・・夢遊病者と見まごうばかりの「ヘルダーリンワールド」が現出します。だからこそ私はこの曲だけは長年拒絶してきましたが、ようやくこの曲を受け入れられるようになってきました。それだけのいろんな経験をしてきたということでしょうか。理解まではしていませんが、少なくともようやくこの曲を普通に聴けるようになっています。
もしかすると、日記を書いたときには気が付いていなかったのかもしれません。私はヘルダーリンにかなりリスペクトしているということを・・・・・他人のことだけ考えてしまって、自分のことは後回しにしてしまった自分。
ヘルダーリンもそうだったのだとすれば、私は作曲家たちが伝えたかった「ヘルダーリンの魂」というものを、完全に受け取っていなかったことになるかと思います。ようやく、そのことに気が付いたからこそ、リームまで聴けるようになってきた、そんな気がします。
聴いているCD
ブラームス 運命の歌 他
ヨハネス・ブラームス作曲
運命の歌 作品54
リヒャルト・シュトラウス作曲
3つの讃歌 作品71
マックス・レーガ―作曲
希望に寄せる 作品124
ヴォルフガング・リーム作曲
ヘルダーリン断章
カリータ・マッティラ(ソプラノ)
ヨハネス・M・ケスタース(バリトン、リーム)
ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団(ブラームス)
クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ソニークラシカル SRCR 9634)
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