今回の「マイ・コレ」は、シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」とモーツァルトのピアノ四重奏曲とのカップリングです。ソリストは下記にあげるように、そうそうたる顔ぶれ。
といいつつも、これを買った時にはまだその演奏者のことが何にもわかっておらず、「大丈夫かなあ」なーんて悩みぬいて買った一枚です。
で、聴いてみますと、なんでそんなことで悩んだの?というほど素晴らしい演奏!
まず、「ます」ですが、これは第4楽章にシューベルト自身の歌曲「ます」を主題に使っているから、なんですね。それゆえに、この曲は中学校の音楽鑑賞の時間に取り上げられる代表的な曲でもあります。つまり、変奏曲の教材として、です。
「ます」はなんといっても変奏曲集といってもいいくらい、変奏曲に彩られています。第1楽章、第4楽章、そして最終第5楽章が変奏曲(うち、第1楽章と第5楽章は基本的にはソナタ形式)。そのまさしく変奏の「彩」は、私を長く魅了し、心をわしづかみにしてきました。
これだけ形式で特徴がありながら、音楽はまさしく「歌曲」なんですね。それゆえに、シューベルトは評価が低いこともしばしばですが、私はかなり高く評価をしています。これだから素人は・・・・・なんていわれそうですが、形式的にこっていながら、音楽が親しみやすいということは、頭の中で作曲者がきちんと整理できていることでもあります。その点は高く評価すべきだと思います。
そう考えますと、なぜこのCDはモーツァルトとカップリングになっているのかがよくわかります。これは演奏者あるいはプロデューサーから私たち聴衆に対する挑戦状なのです。このカップリングの意味が分かるかな?という・・・・・
しばらく、私はその意味が分かりませんでした。しかし、こうやってブログを立ち上げ、自分なりに勉強してみますと、わかってくるものがあります。つまり、シューベルトはベートーヴェンを敬愛しながら、音楽としてはむしろモーツァルト的なものを目指していたという、証左がここにある・・・・・それにあなたは気づきますか?ということなのだということを。
ブレンデルはモーツァルトのピアノ協奏曲も収録している大家。ほかの演奏者もモーツァルトの演奏で有名な方々です。その演奏家があえてシューベルトをやる・・・・・・しかも、ブレンデルはこの演奏を収録した時、「ます」は17年ぶりなんですね。その間、ブレンデルはモーツァルトに力を入れてきました。
以前言及したと思いますが、ヨーロッパではモーツァルトを演奏しない人はたとえベートーヴェンで素晴らしい演奏をしてもそれなりの評価しかされません。素晴らしいが、なんだ、モーツァルト演奏していないの、ふーん・・・・・と。すべての演奏はモーツァルトに通じる、といいましょうか・・・・・・それが、本場です。
このCDを買った時はもちろん私もそんなことなどわかりやしません。しかし、年月がたち、モーツァルトを聴き始めた途端、あ、そうだったのか!と池上さんではないですが、わかってくるものがあるのです。その上でさらに楽典等の知識があれば、もっとその世界は広がるだろうと思います。実際、そのような作業を通じて、私は楽典を学ぶ重要性に気付いたのですから・・・・・もちろん、楽典を知らなくても、十分素晴らしい世界に触れることが出来ます。それが、モーツァルトなのだと。
シューベルトはそれに気づいていたからこそ、ベートーヴェンを敬愛しながら、モーツァルト的な歌うような音楽をつむぎだしていった・・・・・・そう考えますと、このカップリングが意味するものは、私たち日本人へのとてつもなく大きなメッセージなのだな、と思います。
どちらの作品でも共通する演奏表現は、絶妙なアインザッツの強弱です。それが音楽にメリハリを与え、アコーギクなしでも素晴らしい演奏ができるんだよと教えてくれます。演奏者が少なくても、広大な音楽という名の宇宙を表現することが出来る・・・・・それが、このアルバムでもって、演奏者あるいはプロデューサーが言いたいこと、なのだと思います。
果たして、私たちはそれをきちんと受け取っているのかな?といまだに私は自分を恥じています。一人の誇りある日本人として・・・・・
聴いているCD
フランツ・シューベルト作曲
ピアノ五重奏曲イ長調作品114D667「ます」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
トーマス・ツェートマイアー(ヴァイオリン)
タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ)
リヒャルト・ドゥヴェン(チェロ)
ペーター・リーゲルバウアー(コントラバス、「ます」)
(PHILIPS PHCP-1464)
このブログは「にほんブログ村」に参加しています。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村