かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ラフマニノフピアノ協奏曲第4番ほか

今日の県立図書館所蔵CDは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番を中心とした彼のピアノ曲集です。ピアノはティボーテ、アシュケナージ指揮クリ―ヴランド管弦楽団です。

ピアニストでもあるアシュケナージが、若きピアニストにそのソリストの座を譲ってまでも表現した第4番は、ラフマニノフのヴィルトォーソとしての才能がいかんなく発揮されている作品ですが、第3番までと比べますと幾分ロシア的なものは薄くなっています。それは、この作品がロシア以外で成立したということがあるでしょう。

ラフマニノフの作品の多くはロシアで作曲されており、ロシア革命以後亡命してからはあまり作品を残していません。むしろ、コンサートピアニストとしての活動がほとんどで、本人いわく創作の意欲を失ってしまってようです。その中でも何とか成立したのが、この第4番です。

それでも、交響曲第3番に比べますとかなりロシア的ですし、メロディラインもしっかりとしていますが、ピアノ協奏曲第3番までのイメージで聴いてしまうと、「なんじゃこりゃ」状態になると思います。

私はこの曲からは、ラフマニノフの苦悩がしのばれるのです。本来、祖国の美しい風景を作曲したかったはずなのに、それが実現できない・・・・・さらに、生活してゆくためには何かしら糧を稼いでいかなくてはならないため、コンサートピアニストとして生きてゆかねばならない・・・・・

その苦悩の様子が、まるで音楽に出ているように思います。

ロマンティシズムが低下している・・・・・そんな印象なのです。そしてそれこそ、彼が苦悩していることの裏返しなのではないか、という気がします。

恐らく、この第4番が好きという人はラフマニノフの曲がすきなひとのなかでも少ないのではないかという気がします。すべてではないが多用される不協和音・・・・・モスクワ派だったはずの彼がなぜそういう音楽へと変わっていってしまったのか・・・・・

それを想うと、せつなくなります。

それに追い打ちをかけるのがピアノソナタ第2番です。これはまだ彼が亡命する前にイタリアで作曲されていますが、大幅な改定を亡命後しています。そして、いまだにその評価は迷走中です。初版がようやく再評価されてきたようなもので、その点ではコンチェルトとさほど変わりありません。まだ、コレッリの主題による変奏曲や、前奏曲のほうがすがすがしく、音楽の起伏としても安定しています。

でも、ある意味この編集は単にラフマニノフという作曲家が表面的な美しさだけ追い求めた人ではないという証でもあります。この4曲を並べたというのは、評価できると思います。国内盤では決してできません・・・・・まあ、もともと借りてきたのは国内盤ですが、明らかにプロデューサーは海外。まだまだ我が国と海外との差を感じてしまいます。

さて、私たちは彼を作曲家としてみているのでしょうか、それともヴィルトォーソピアニストというコンサートピアニストとしてみているのでしょうか?

そして、彼はどちらの評価を望んでいたのでしょうか?

私は、その点をもっと考えたく思います。そんな印象を強く持たせる曲がずらっと並んでいる、そんな気がします。その点からしますと、なんとなく、アシュケナージが若きピアニストに譲った、その理由が見えてくる気がするのです。



聴いている音源
セルゲイ・ラフマニノフ作曲
ピアノ協奏曲第4番ト長調作品40
コレルリの主題による変奏曲作品42
ピアノソナタ第2番変ロ長調作品36(1931年版)
前奏曲嬰ハ短調作品3-2
ジャン=イヴ・ティボーテ(ピアノ)
ウラディーミル・アシュケナージ指揮
クリ―ヴランド管弦楽団