かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:シューベルト ミサ曲第6番

今回のマイ・コレはシューベルトシューマンのミサ曲の2枚組から、まずシューベルトのミサ曲第6番です。ジョルダン指揮、スイス・ロマンド管弦楽団他です。

エラートの2枚組でして、初めての「あまり有名ではない曲」のCDとなりました。そのきっかけは、とある合唱団の定期演奏会混声合唱団「樹林」の定期演奏会で取り上げられていたのがきっかけです。

この合唱団、けっこうこういう曲に目を向けていまして、その後モニューシュコの「オストロオブラムスカの連梼」の日本初演も果たしています。そんな合唱団が定期演奏会で取り上げたのが、このシューベルトのミサ曲第6番なのです。

そもそも、シューベルトのミサ曲自体がそれほどメジャーではありませんし、全集もあまりお目にかかりません。ただ、以前から私は彼のミサ曲は注目していまして、ぜひともそろえたいと思っています。

そんな彼のミサ曲のうち、生前演奏されなかったのがこの第6番です。そもそも、親族もそれほど評価はしていなかったらしく、再評価が進むまではほとんど演奏機会がなかったものです。

本当は解説書を見て詳しく書きたいくらいの曲なのですが、残念ながらどこかへ・・・・・見つかったり失ったりしていますね、このCDの解説書(当然、シューマンも、ということになります)。ただ記憶ではっきりしているのは、生前全曲が発表されることはなかったこと。死ぬ間際に完成されたこと、その目的として教会への就職があったということ、そして残念ながら長らく評価されてこなかったこと、です。

しかし、あえて言います。その評価は間違っています。この曲は素晴らしいです・・・・・確かに、同じ旋律の使いまわし等、ちょっとあれ?と思う点がありますが、しかし、この曲、というよりシューベルトのミサ曲が占める位置なのですが、ロマン派以降のミサ曲の形式を決定づけた、という側面があるのです。

この曲では、まだ完成とはいきませんが、少なくともグローリアはひとまとまりになっていまして、モーツァルトの「孤児院ミサ」のようにいくつかに分かれているということがありません。つまり、音楽がそれぞれ6楽章にまとまっており、一体になり始めた、ということなのです。つまり、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの6つがそれぞれひとかたまりになっていて、そのなかでいくつかに分かれるということがなくなってくる、ということです。これはロマン派のミサ曲の大きな特徴であって、以後それで固まっていきます。

その扉を開いたのが、シューベルトだったのです。つまり、モーツァルトの時代、ミサ・ブレヴィスでやっていた形式を、ミサ・ソレムニスでもやり始めた、ということです。それは相対的に教会音楽がクラシックで占める地位の低下を意味しますが、それにより宗教音楽が今日まで残ることへもつながっていったとも言えます。かなり不協和音が占める現代音楽にあっても、なお宗教音楽が作曲され続けているのは、当然この形式の固定化が大きな役割を担っています。それによって人々が音楽を理解し得る土台があるわけですから。

この第6番はその点で、エポックメイキングな曲であると、私は思います。

それを、ジョルダンという名匠が巧みに振っています。確かに、シューベルトの曲は歌謡曲的ですが、それゆえにこのミサ曲では甘い旋律に満たされています。ジョルダンはそれを思う存分オケ、ソリスト、合唱団ともに歌わせています。静謐さと激しさとが同居するこの曲に、新たな光を当てている名演です。


聴いているCD
フランツ・シューベルト作曲
ミサ曲第6番変ホ長調D950
オードリー・ミシェル(ソプラノ)
ブリジット・バレイ(アルト)
アルド・バルディン(テノール
クリストフ・ホンベルガ―(テノール
ミシェル・ブロダール(バス)
ロマンド室内合唱団
ローザンヌ・プロ・アルテ合唱団
アルミン・ジョルダン指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
(ERATO WPCS-4033、もしくは4509-95307-2)