今月のお買いもの、2枚目はシューベルトのミサ曲第5番他です。ナクソスから出ているものです。
ナクソスからは一応シューベルトのミサ曲が全曲出ているので、いま狙っています。
さて、シューベルトはその生涯で番号のついたミサ曲を6曲書いていまして、その中でもこの第5番はシューベルトの生前に演奏されたミサ曲の、最後の曲となります。
帯には「最も美しく創造的」という評価だという記述がありますが、確かに創造的であるなあと思います。それがよくわかるのがクレド。前奏が金管によってなされてますが、これがファンファーレなのですね。いやあ、これは歌いだしが難しいです。
前奏というのは、その後に続く合唱のテンポを規定する役割を持っています。それがファンファーレだと、その役目を果たすことにならないのです。ですから、合唱はタクトだけを信じて出るしかないのです。
歌曲を多く書いたシューベルトにしてはこれは珍しい・・・・・くもないのです。次の第6番では、クレドはティンパニ連打だけで入っています。もうこれは事実上前奏なしです^^;
それはおそらく、特にこの曲で感じることなのですが、先人の作品に押しつぶされそうなのを必死で自らの個性を出そうとしている、シューベルトの苦労の結果だと思います。ハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェン・・・・・・そういった先人の作品を多分に意識して「しまった」結果だと思います。
特にこの曲ではキリエにみられるシューベルトらしくない硬いメロディーラインなど、おやと思うような点が散見されます。そうだと思うとグローリアやサンクトゥス、ベネディクトゥスは美しい流麗な音楽です。
それが少なくとも第6番では旋律面では修正されて、突き抜けているんですね。第5番はその手前って感じの曲です。
それよりもカップリングのマニフィカートの方がよほど突き抜けています。一部ベートーヴェン的な旋律もあるのですが、全体的に前奏がしっかりとあって、その上で美しいシューベルトらしい甘美な旋律が乗っているという、彼らしい個性がみなぎる素晴らしい曲です。
ミサ曲に戻りますが、この曲が「ミサ・ソレムニス」であるからなのか、グローリアとクレドが細かく分かれています。これはバッハのロ短調ミサや、ハイドン、あるいはモーツァルトの初期のミサなどに共通するもので、ベートーヴェンの晩年にもあたる時期(1819〜22年)に書かれた曲の割には古いものをひっぱり出してきている感じがします。その点も、この曲がまだ突き抜けていない理由でもあるのかもしれません。
演奏面では、アンサンブルは素晴らしいですが、細かい点を突けば発声面であと一息という点が散見されます。ただ、そういった部分はpもしくはppなので難しいのはわかっていますけどね^^;その点が修正されれば、文句ない演奏でしょう。
少なくとも、シューベルトのミサ曲のCDはそれほど多くはないので、基準演奏になることは間違いないと思います。
聴いているCD
フランツ・シューベルト作曲
ミサ曲第5番変イ長調D.678
マニフィカートハ長調D.486
トリーネ・ウィルスベリ・ルンド(ソプラノ)
ベッティナ・ランチ(アルト)
リ・ミンウ(テノール)
ドミニシュ・ケーニガー(バス)
イモータル・バッハ・アンサンブル
モルテン・シュルト=イェンセン指揮
ライプツィヒ室内管弦楽団
(Naxos 8.572114)
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