今回のマイ・コレクションは、モーツァルトの戴冠ミサです。ペーター・シュライアー指揮、ドレスデン・シュターツカペルレほかの演奏になります。
このCDは、十数年間、合唱団の定期演奏会で演奏することになったので、参考にと思って買ったものです。ピアノ協奏曲でも述べましたが、当時は大ピリオド楽器ブーム。モダンの演奏が手に入りにくい状態でした。唯一といっていいモダンの演奏が、これだったのです。
いや、おそらく聴くだけであればピリオドを選択していたと思います。しかし、これは定期演奏会で歌うという前提条件があったからこそ、どうしてもモダンの演奏がほしかったというわけなのです。
しかし、買う時に躊躇したのは事実です。なんといっても、指揮はペーター・シュライアーですから・・・・・
声楽家としての彼はよく知っていますし、評判もいいです。実際、すでにワーグナーの楽劇でその歌声は存じ上げておりました。しかし、指揮、しかもモーツァルトの宗教曲・・・・・
その前に買った、モツレクが私の頭を支配していまして、簡単には購入に踏み切れなかったのです。しかし、モダンはこれしかないですし、まずもって、私は通常文によるモーツァルトの音楽を聴くのは初めてでした。ならば、これでもいいんじゃないかと、半ばギャンブルで買ったのです。
ところが、それは大変失礼な評価でした。シュライアーの指揮はとてもフレーズを大事にしていて、聴いていて本当に素晴らしい合唱曲に仕上がっていたのです。
もうミサ曲ではなく、オペラだといってもいいでしょう。モーツァルトのミサ曲の中でも、特にドラマティックな戴冠ミサ。その象徴でもあるクレドは、とてもドラマティックです。「ピラトによって十字架に処せられ」の部分でいったんppにしておいて、「復活せり」の部分で一気にffにして喜びを爆発させます。
その合唱団、ソリスト、オケ、すべてのアンサンブルとアインザッツが一つになり、信仰告白をしてゆくその音楽は、私が持つ宗教音楽のイメージをがらりと変えました。
こんなにも、宗教曲とは人間臭く、ドラマティックなものだったのか・・・・・
そうなった理由として、おそらく八分音符の演奏の仕方だろうと思います。八分音符はあくまでも音を伸ばす長さを表す音符でありますが、この音符をはねるように演奏するのです。これがこのCDの最大の特徴で、このように演奏しているCDをわたしはピリオドであっても聞いたことはありません。
そして、抜群のバランス。文句のつけようがありません。これで発音が正規のものであれば、100点満点です。発音が残念ながらドイツ的で、そこだけが残念な演奏です。まあ、発音を気にせずただ聴くだけであれば、もう100点満点だと思います。名盤中の名盤であると私は思います。
それは、宗教曲としてはある意味変態演奏なのですが、でも、それを全く感じさせない端正なテンポ感覚と、抜群のバランス、アンサンブル。これを超える演奏は少なくとも私が聴いた中ではありません。
かろうじて、モーツァルト全集に入っているケーゲルか、宗教音楽全集を出したアーノンクール、後はテルツ少年合唱団を使った演奏、くらいしか私には思い出せません。
ヴェスペレは聞きなれない言葉ですが、夜の礼拝を意味する「晩課」のことで、そのための音楽です。それも戴冠ミサ同様の解釈となっていて、これは全くこの演奏以外優れたものはアーノンクールぐらいしか考えられないほどです。
アヴェ・ヴェルム・コルプスは一転、弾む演奏を全く排したもので、とても静謐です。ある意味全く面白みがないのですが、ただ、もともと楽譜を見ますと長音が多いのでやりにくいという側面はあります。そういう意味では、シュライアーは以外にもかなりきちんとスコアリーディングをやってこの録音に臨んでいたといっていいと思います。
いずれにしましても、私ははっきりとこの一枚は名盤である、と宣言します。すべてがとにかく美しく、なおかつドラマティックで、しかも端正です。
聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ミサ曲ハ長調K.317「戴冠ミサ」
ヴェスペレK.339
アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618
エディット・マティス(ソプラノ、K.317・339)
ヤドヴィガ・ラッペ(アルト、K.317・339)
ハンス・ペーター=ブロホヴィッツ(テノール、K.317)
トーマス・クヴァストホフ(バス)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:ゲルト・プリシュムート)
ペーター・シュライアー指揮、テノール(K.339)
ドレスデン・シュターツカペルレ
(Philips PHCP-5187)