県立図書館所蔵CDコーナーのモーツァルトピアノ協奏曲モダン演奏シリーズの、今回は第4回目です。今回もぺライア指揮・ピアノ、イギリス室内管弦楽団の演奏を取り上げたいと思います。曲は第11番と第12番です。
この第4集からはバランスの問題がすべて解決されています。それは室内オケだからなのかもしれませんが、とにかく、ピリオドであったバランスの問題は解決されています。
つまり、この演奏がとどめを刺していると思います。ガーディナーの指揮のものはピリオド楽器の特性をわかっていないのだ、と。
あれをもってピリオドがだめというのは早計だと思います。ピリオドの音を好むか好まないかは人それぞれなのでそれで嫌いになるのは構わないと思うんですが、そうではなくピリオド楽器ではだめ、というのは果たして演奏者から見た場合、どう思われるのかなあと思います。
私もモーツァルトのミサ曲をいくつか歌ったことがあるからこそ分かるのですが、やはりモーツァルトの作品というのは、バランスをいかに取るかなんです。ハーモニーを大事にするなんて簡単なものではありません。もっと繊細なのです。
表面的にはとても明るいのでその点は顧みられないことが特に聴く側には多いのですが、歌ってみますととても繊細な作品であるということがわかります。
実は、最近のはやりはモーツァルトのピアノ協奏曲は室内オケで演奏することで、すでにそれは20年程度も続いている傾向です。それだけ続くということは、本場ではフルオケで演奏することで発生するマイナス点をかなり深刻に受け止めているということに他ならなないと思います。
だとしますと、モダンの演奏は確かにいいのですが、なぜいいのかを考えるとき、その演奏は何がいいのかを真剣に考える必要があると私は思います。確かにピリオド楽器は性能が古いので、ピアノ単体の音は絶対にモダンのほうがいいに決まっています。しかし、フォルテピアノが同じピリオド楽器の中でも非力に聞こえるというのはいったいどういうことなのか、その説明は誰もすることができていないように思うのです。
このぺライアのバランスのいい演奏を聴くたびに、私にはその疑問がついて回るのです。
聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ピアノ協奏曲第11番ヘ長調K.413(387a)
ピアノ協奏曲第12番イ長調K.414(385p)
マレイ・ぺライア指揮、ピアノ
イギリス室内管弦楽団