かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ぺライア モーツァルトピアノ協奏曲集3

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーは、モーツァルトのピアノ協奏曲のモダン演奏を取り上げています。今回はぺライアのピアノと指揮の第8番と第9番です。

7番が飛んでいるのにはわけがあります。つまり、この全集ではソロだけを取り上げていく方針だったようなのです。

実は、事典でもそうなのですが、新モーツァルト全集では番号はついていません。今回の第8番もたんに「ハ長調K.246」です。

それに従えば、ソロピアノだけという編集方針もあながち間違ってはいません。とはいえ、事典でも「3台のための」を第7番としてかっこをつけて扱っていますし、私としてはぬかしたくないところです。ただ、この時はまだ私も図書館を使いこなしているとは言えなかったので、飛んでいるこの全集を借りてしまったのです。

とはいえ、その演奏はとても素晴らしいのです。ひとつひとつの音がはっきりと聞き取れるのに流れる音楽。それはオケ、ピアノともに同じで、ともに実力あることの証拠です。

オケとピアノとのバランスはこの第8番から抜群に良くなっています。このあたりがモダン演奏、それも室内オケを使ったいいところだと思います。特にそれを感じるのは第9番の第1楽章です。ただ、ちょっとだけイコライザで修正したっぽい部分が・・・・・

でも、確実にピリオドや第2集までにあったようなトゥッティ部分でオケだけ大音量で飛び出すといった部分はなくなってきています。そう考えれば、やはりガーディナーの指揮にはなにか欠陥があるとしか言いようがないと思います。つまり、モーツァルトはきちんとオケとピアノとのバランスを考えて作曲している、ということなるわけですから・・・・・

実は、それを教えてくれたのは実は同じ図書館で借りてきました、鈴木秀美氏のハイドンのチェロ協奏曲のブックレットです。鈴木秀美氏と指揮者シギスヴァルト・クイケン氏によて語られています。それはまた別の機会にご紹介するとして、ピリオドではすでにモダン同様バランスを考える段階に来ています。つまり、ブームを経て当たり前になった古楽演奏は、さらなる高みへと向かうため、モダンと同じことをピリオドの視点で考えるようになってきた、ということなのです。

こういう演奏を聴くことは、その視点を私たちに教えてくれると思います。ピリオド演奏のピッチがいやというのは理解できますし私も初めはそう思っていましたのでかまいません。ですが、それはきちんとした演奏ではないというのはちょっと暴論なのではないかなという気がするのです。むしろ、モダンを称賛するのであれば、やはりバランスとしてどうなのかを問わなければいけないと思います。

ですので、私はガーディナーの演奏を取り上げたときに、古楽演奏をこれでダメとは言いたくないと申し上げたわけです。このぺライアの演奏を聴くたびに、ガーディナーの演奏にはやりのこしているものがあるのではないかと思うのです。


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ協奏曲第8番ハ長調K.246
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271
マレイ・ぺライア指揮、ピアノ
イギリス室内管弦楽団