かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ぺライア モーツァルトピアノ協奏曲集2

今回の神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーは引き続きモーツァルトのピアノ協奏曲集のモダン演奏です。

この第2集からいよいよモーツァルトの作曲になるわけですが、そのことで肩の力が入ることなく、のびのびとした演奏は素晴らしいですね。こういう点は確かにモダンのほうが素晴らしいわけですが、違った視点から考えますと、これはこの第5番と第6番がピリオドで演奏することを前提に作曲されたということなのではないかという気がするのです。そんなの当り前じゃないかと思うかもしれませんが、モダンのほうがいいということはある意味、私たちがモーツァルトのピアノコンチェルトはモダンを想定して作曲されたと思い込んでいるという証左でもあるのです。

そう考えるほど、オケに余裕があるのです。室内楽オケという小編成なのに、それを全く感じさせません。トゥッティはまるでフルオケです。ただ、弦をよく聴きますと、やっぱり小編成なんですね。それでも、なんです。

それは、この2つの作品はピリオドでも比較的小編成のオケで演奏することを念頭にいれて書かれているということの証なのではないかという気がするのです。となると、問題になるのはオケとピアノとのバランス、なんですね。

モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いて評価する場合、この点は気をつけないといけないと思います。彼の初期の作品なのか、それとも後期なのか、死ぬ間際なのか・・・・・それぞれ違ってきます。特に、オケの編成には注意が必要だと思います。

それはハイドンやバッハを聴いてそう考えるに至りました。譜読みができること自体は決していけないことではないですし、プロの皆さんならやらなければいけないことだとは思いますが、逆に私のようにアマチュアで必ずしも譜読みできるわけではないという人間からしますと、その音だけに集中してしまって、バランスを考えることをあまりしていないんじゃないかという気もするのです。

後期ロマン派のようにオケと「対決」する作品であればそれでいいと思います。しかしながら、モーツァルトのように初期の作品はピリオドの小編成となりますと、譜読みをしっかりしたうえで、さらに周りの音をどれだけ聴いて、ソリストを引き立てられるかが大事ですし、またソリストもどれだけオケとアンサンブルすることを考えるのか、伴奏をどういかすのかを考えないといけないのではないかという気がします。

この演奏はモダンですからまだよくできているほうですが、それでもオケのトゥッティは音が大きいと感じてしまいます。弦の各楽器各々もう1〜2つくらい減らしても、この2曲であれば十分演奏できるのではないかという気がします。

こんなことを書きますとまるで民主党の事業仕訳だという人もいらっしゃるかもしれませんが、決して仕訳するわけではありません。しかし、私はバランスとこの曲がモーツァルトがどのような編成を念頭に入れて作曲したのかを考えたとき、特に弦とピアノとのバランスははたしてあっているのかということは、よくかんがえるべきなのではないかと思います。

このモダンでさえ、バランスを欠く・・・・・・それで果たして、この曲の「本質」にせまっているのかどうかは、疑問です。たしかに演奏は素晴らしいのですが・・・・・ピリオドに対して物申すわけではないのでしょうが、ぺライアがピアノを弾いて指揮もするというスタイルをとって、なおかつ室内オケをつかうのであれば、まぬかれない評価であるような気がします。



聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ協奏曲第5番ニ長調K.175
ピアノ協奏曲第6番変ロ長調K.238
マレイ・ぺライア指揮、ピアノ
イギリス室内管弦楽団