かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ブレンデル/マリナー、アカデミーのモーツァルトピアノ協奏曲1

今回の県立図書館所蔵CDのコーナーは、モーツァルトのモダン演奏から、ブレンデルのピアノ、マリナー指揮、聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミーの演奏をご紹介します。

結局、ぺライアでは全部そろわないということになったので、仕方なく借りたのがこれだったのですが、仕方なくなんて言ってはいけない演奏ですよね〜、これ。そもそも名盤の誉れ高いのがこのコンビなんですから。

でも、せっかくぺライアで借りたのにという思いがあったわけなんです。せっかくですから、ぺライアで全部聴いてみたいですよねえ。ですから、「仕方なく」だったわけなのです。その時から、こっちをはじめから借りておけばよかったなあという思いはありました。

しかし、調べてみると、このコンビでも全曲そろわないことがわかりまして・・・・・というのも、図書館にあるのは、小学館の「モーツァルト全集」の一部として、なんです。ただ、ふつうは全部そろっている物なのですが・・・・・

第17番だけが、ないんですね。前回それをご紹介したわけなんですが、そのため最新のマッケラスとのものを借りた、というわけです。

本当にモダン演奏の全集はないですねえ。再販してもいいと私は思います。まあ、もうモダンかピリオドかという時代ではないですけれど、どちらもいいものはいいわけですし、ピリオドの音があまり好まない人もいるわけなので、名盤くらいは分売の形で販売してもいいんじゃないかなあと思います。

で、このコンビの演奏ですが、ブレンデルのピアノはとても繊細で、かつ力強くもあります。モーツァルトの音楽が持つ繊細さを十分に表現しているように思います。

特に、八部音符の表現が絶妙です。もともとこの音源はフィリップスですが、フィリップスは八部音符の表現が絶妙な演奏家を起用するように思います。シュライアーしかり、ブレンデルしかり、マリナーしかり、マッケラスしかりですね。

また、フレージングがとてもなめらかで自然です。そこがとても素晴らしく、モーツァルトのコンチェルトはこんなにも美しいのかと認識させられます。これだけ素晴らしい演奏なのに、どうしてまたマッケラスと新全集を録音しようとしたのかと思いたくなります。

収録されている第19番まではカデンツァがモーツァルトの手によるものですから誰が弾いても同じ音になるはずなんですが、それでもブレンデルのピアノが紡ぎだす音はなんと美しいのでしょうか。

ふと考えてみますと、モーツァルトの音楽は、音がとても動き回るので一見しますとヴィルトォーソのように思えます。確かに初演はモーツァルトですからそれはそうだと思いますが、かといってオケはあまり動き回りません。主旋律を担当するときには確かに動き回りますが、必ずしもそうではない場面のほうが多いことを考えますと、モーツァルトのピアノ協奏曲はやはり古典派の、会話をするコンチェルトと考えて私たちも聴くべきなのでは?と思います。

当り前の話かもしれませんが、私たちはロマン派や現代音楽も聞きなれていますから、そのコンチェルトと同列にどうしても聴いてしまいます。しかし、そこに落とし穴があると私は思います。現代のコンチェルトは進化しすぎてしまって、オケと対等であるがゆえに、オケと勝負する音楽です。しかし、モーツァルトはあくまでも古典派の範疇で作曲していますから、オケと対等に「会話する」協奏曲であるということを忘れてはならないと思います。

ブレンデルとマリナーはそれを徹頭徹尾貫き通しています。それに十分こたえる、聖・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー、つまりアカデミー室内管ですね。面倒なので人口に膾炙しているアカデミーで呼ばせていただきますが、このオケが本当に名サポートをしています。イギリス室内管よりもさらに繊細な表現がアカデミーのほうができるように思います。

これならば、初期の作品はいったいどういう演奏をしているのだろうかと、期待が膨らむ演奏ですが、まだそこまで聴くまでには至っていません。いずれ、借りてきたいと思います。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456
ピアノ協奏曲第19番ヘ長調K.459
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー