かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買い物:BCJ バッハ・カンタータ全曲演奏シリーズ35

今月のお買い物、第3弾はいつもの通りBCJのバッハ・カンタータ全曲演奏シリーズの第35集です。

今回のCDに収録されているカンタータは次の4曲です。いずれも受難節が終わったあとの、5月に使われるために、1725年に完成されたカンタータです。台本が全て女流詩人ツィグラーであるという点も注目です。女性の社会進出など考えられなかった時代に女流詩人の台本を取上げるバッハの狙いは一体なんだったのでしょう?そんなことを考えながら聴いても面白いアルバムです。

カンタータ第128番「ただキリストの昇天にのみ」BWV128
カンタータ第176番「傲(たかぶ)りかつ臆するものは」BWV176
カンタータ第87番「今までは汝らなにをもわが名によりて求めしことなし」BWV87
カンタータ第74番「人もしわれを愛せば、わが言を守らん」BWV74

まず、第128番から参りましょう。第1曲に使われているコラールにドイツ語によるグローリアの歌詞が含まれており(バッハ事典P.135)、そういう意味では、カトリックで言えば「グローリア」という作品であると言ってもいいのかもしれません。全体的にこじんまりとしつつ、明るい伸びやかな曲で、イエスの昇天に従い自分もいつの日か天に昇らんと歌うカンタータです。

第176番はツィグラー台本による9つのカンタータのうち最後のものになります。人の心は傲り臆するものであり、さらに永遠の命を得るには、信仰を強く持つ必要があると説く内容です。いきなり合唱とオケが出る構造は聴くものをひきつけます。これもとても短い曲ですが、とても引き締まっていてかつ伸びやかな曲です。

第87番は最初バスから始まるカンタータ。合唱は一番最後だけに現れます。器楽とソリストの掛け合いを充分に楽しむことが出来ます。ただ、歌詞は悔い改めと癒しというとても内省的な内容で、音楽もそれにあわせて全体的には暗いものです。それゆえにこの曲にこめたバッハの深い感情を聴き取ることが出来ます。時間的にも前2つのカンタータに比べれば演奏時間にして2倍の長さとなっていて、その分このカンタータに込めたバッハの気合の入れようが偲ばれます。

だた、曲は暗いものから徐々に明るい調性になり、最後は清潔なコラールで終わります。

第74番は実は全く同じ題名のカンタータ第59番BWV59を発展改作したものと言われています。確かに、第59番では4曲しかない構造が、この第74番では8曲へと拡大されています。ただ、台本はことなりこれは勿論上で挙げましたがツィグラーです(第59番はノイマイスター)。詳細は明らかになっていなくて諸説ありますが、私はツィグラーの台本がことのほか素晴らしかったのだと思います。だからこそ、前年に既に同じテーマで作っているのにも関わらず、再び作曲したのだと思います。その提案がバッハだったのか教会だったのかはわかりませんが。

第1曲と第2曲は第59番の第1曲と第4曲からの転用で、第3曲以降は全く新たに作曲しています。

この曲では再び合唱から始まり、合唱で終わる構造となります。ソリストは途中それぞれ交互に出てきます。レチタティーヴォが二つあり、それぞれが場面展開に大きな役割を果たしています。歌詞の内容も聖霊降臨を祝する内容で、全体的に祝祭感が漂います。特に素晴らしいのは第7曲。オケの弦が奏でるきらきらした音楽!弦でここまできらびやかに出来るのか!と目からうろこです。


どの曲でも、BCJはいつもどおり声高に主張せず、しかししっかりと音楽を聴かせてくれます。こういう演奏は何度聴きましても飽きません。まだまだバッハのカンタータが完成するまで時間あり。じっくりと追いかけて行きたいですね。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第128番「ただキリストの昇天にのみ」BWV128
カンタータ第176番「傲(たかぶ)りかつ臆するものは」BWV176
カンタータ第87番「今までは汝らなにをもわが名によりて求めしことなし」BWV87
カンタータ第74番「人もしわれを愛せば、わが言を守らん」BWV74
野々下由香里(ソプラノ)
ロビン・ブレイズカウンターテナー
桜田亮(テノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1571)